従軍慰安婦の悲劇
投稿者: victor_e_frankl 投稿日時: 2006/12/21 22:37 投稿番号: [13174 / 29399]
精神医学者による元慰安婦の診断
映像の鮮明さと時経列のゆがみの検証
録取の中に「連れていかれる当日、あなたは何をしていましたか?」との問いに対して、「畑に行きましてよもぎを摘んで夜の夕食の準備をしようと思ってました。そして男に引っ張られていきました」とあるが、この時のよもぎの色ははっきりと記憶されており、色鉛筆で言うと黄緑色に近かったという。
その後「踏み切りのところまで連れていかれた時」と限って自分が、父母に会いたいから帰してくれと言ったことを覚えている。これも「踏み切り」という映像が非常に鮮明である。
また、イーリーというところの旅館に連れていかれた翌日、いよいよ駅から汽車に乗って出発するというその日の朝の食事を克明に記憶している。
「その時の朝食は白いご飯、コンムル(豆を細かくして作った汁)、キムチ、そして角切り大根の漬物だった。白いご飯がとてもおいしかった」
また、到着した上海で出迎えた軍人の服装もよく覚えている。
「黄色い色の服を着ていた。たぶん国防色という色だと思う」
一方時経列のゆがみ、ないしは記憶の入れ換りという現象も起きているようである。それは上海について、テントのようなところに入れられた時のくだりである。
「そこに降りたら正直言ってあまりに小さいテントの中で、もう汚いという一言に尽きました。もう雨は降る、雪が降ったらそのまま降り込むというような状態で・・」
しかし前述の録取の中で「よもぎを採っている頃につかまった」とある。そしてイーリーから出かける時も「よもぎを採っていた頃だから暑かった」と今回コメントしているが、それから見ると、長くても1週間以内で到着したであろう上海において、「雪が降る」ということはないように思われる。
これはいわゆる時経列のゆがみであり、おそらく長いテントの中での生活で経験した「雪が降り込んでくる」ということに対するトラウマの記憶が、強いためにどこまでゆがみ、時経列的にはゆがんで、この「連れてこられたときの記憶」とくっついてしまったことが予測される。
このように連続してトラウマの記憶が繰り返されていると、たがいに入れ違ってくっつき、時間の経過的には離れているであろうことも、一緒になって語られたり記憶されたりすることがある。
また映像的な記憶としては「606号」がある。
この注射に対して「色はどうでしたか?」と尋ねると即座に「黄色い色でした」と返ってきた。歴史検証を待たなければならないが、この「606号」の注射が実際は何色であったか、非常に大切な部分であると思われ、調査を期待するところである。
しかもこの注射に関しては「打つとすぐに臭いがしてきて、それはまるで今で言えば龍角散のような臭いだった」という。これは血液に溶けて全身に回った際に肺のガス交換において二酸化炭素のほうに溶けやすい薬剤であることを示唆しており、この「606号」がそのような「二酸化炭素親和性を持つ」薬剤であることも大切な検証である。
最後に解放となった時の記憶は音声として記憶されている。
「前からも、後ろからも何か声が聞こえてきた。聞けばみんな何かを叫んでいる。その言葉は意味が分からず、人に聞いてようやく"解放""平和が来た"という意味だと知った」
このようにこの「叫び声」はその内容や意味が分からずとも記憶されており、その時の様子を語る状況から判断するに、非常に鮮明な音声優位の記憶であると思われた。
映像の鮮明さと時経列のゆがみの検証
録取の中に「連れていかれる当日、あなたは何をしていましたか?」との問いに対して、「畑に行きましてよもぎを摘んで夜の夕食の準備をしようと思ってました。そして男に引っ張られていきました」とあるが、この時のよもぎの色ははっきりと記憶されており、色鉛筆で言うと黄緑色に近かったという。
その後「踏み切りのところまで連れていかれた時」と限って自分が、父母に会いたいから帰してくれと言ったことを覚えている。これも「踏み切り」という映像が非常に鮮明である。
また、イーリーというところの旅館に連れていかれた翌日、いよいよ駅から汽車に乗って出発するというその日の朝の食事を克明に記憶している。
「その時の朝食は白いご飯、コンムル(豆を細かくして作った汁)、キムチ、そして角切り大根の漬物だった。白いご飯がとてもおいしかった」
また、到着した上海で出迎えた軍人の服装もよく覚えている。
「黄色い色の服を着ていた。たぶん国防色という色だと思う」
一方時経列のゆがみ、ないしは記憶の入れ換りという現象も起きているようである。それは上海について、テントのようなところに入れられた時のくだりである。
「そこに降りたら正直言ってあまりに小さいテントの中で、もう汚いという一言に尽きました。もう雨は降る、雪が降ったらそのまま降り込むというような状態で・・」
しかし前述の録取の中で「よもぎを採っている頃につかまった」とある。そしてイーリーから出かける時も「よもぎを採っていた頃だから暑かった」と今回コメントしているが、それから見ると、長くても1週間以内で到着したであろう上海において、「雪が降る」ということはないように思われる。
これはいわゆる時経列のゆがみであり、おそらく長いテントの中での生活で経験した「雪が降り込んでくる」ということに対するトラウマの記憶が、強いためにどこまでゆがみ、時経列的にはゆがんで、この「連れてこられたときの記憶」とくっついてしまったことが予測される。
このように連続してトラウマの記憶が繰り返されていると、たがいに入れ違ってくっつき、時間の経過的には離れているであろうことも、一緒になって語られたり記憶されたりすることがある。
また映像的な記憶としては「606号」がある。
この注射に対して「色はどうでしたか?」と尋ねると即座に「黄色い色でした」と返ってきた。歴史検証を待たなければならないが、この「606号」の注射が実際は何色であったか、非常に大切な部分であると思われ、調査を期待するところである。
しかもこの注射に関しては「打つとすぐに臭いがしてきて、それはまるで今で言えば龍角散のような臭いだった」という。これは血液に溶けて全身に回った際に肺のガス交換において二酸化炭素のほうに溶けやすい薬剤であることを示唆しており、この「606号」がそのような「二酸化炭素親和性を持つ」薬剤であることも大切な検証である。
最後に解放となった時の記憶は音声として記憶されている。
「前からも、後ろからも何か声が聞こえてきた。聞けばみんな何かを叫んでいる。その言葉は意味が分からず、人に聞いてようやく"解放""平和が来た"という意味だと知った」
このようにこの「叫び声」はその内容や意味が分からずとも記憶されており、その時の様子を語る状況から判断するに、非常に鮮明な音声優位の記憶であると思われた。