一般市民虐殺命令
投稿者: victor_e_frankl 投稿日時: 2006/12/12 19:48 投稿番号: [12987 / 29399]
福田治夫(1915年10月生まれ)
第16師団歩兵第9連隊 第2大隊
一週間ほどして南京からいくらか離れた南西方向の裕渓口に駐屯しました。聯隊で下がりました。そこは夜でもうっかり寝てることできませんのやで。子どもとか年いったお婆さんまで、抗日排日の教育で手榴弾かくして持って、宿舎に入ってきたのが子どもですやろ、こっちは油断しますわな。寝てる所に放り込まれるのが再々あってね。「子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺してしまえ」と聯隊長の命令がでました。二人とか三人とかの百姓を捕まえてきて、「そこらに兵隊はおるかおらんのか」などの尋問して地形を聞いて、後は殺してしまうんです。クリークの縁に連れ出して、そこに座らせました。将校は、めったに刀で首切りなんてできへんのやから、軍刀持ってるさかいに試し切りをするんです。私ら兵隊は突き殺しました。鉄砲の弾できるだけ使うなと言われてました。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P173
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P271
福田治夫(1915年10月生まれ)
第16師団歩兵第9連隊 第2大隊
一週間ほどして南京からいくらか離れた南西方向の裕渓口に駐屯しました。聯隊で下がりました。そこは夜でもうっかり寝てることできませんのやで。子どもとか年いったお婆さんまで、抗日排日の教育で手榴弾かくして持って、宿舎に入ってきたのが子どもですやろ、こっちは油断しますわな。寝てる所に放り込まれるのが再々あってね。「子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺してしまえ」と聯隊長の命令がでました。二人とか三人とかの百姓を捕まえてきて、「そこらに兵隊はおるかおらんのか」などの尋問して地形を聞いて、後は殺してしまうんです。クリークの縁に連れ出して、そこに座らせました。将校は、めったに刀で首切りなんてできへんのやから、軍刀持ってるさかいに試し切りをするんです。私ら兵隊は突き殺しました。鉄砲の弾できるだけ使うなと言われてました。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P173
安藤猛治(1915年4月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 大隊砲
上海から南京までの間には、共産党が多かったんで、あんまりいい命令は出なんだな。「見付けしだいにやっちまえ」ちゅうようなことでな。じかに聞いた話ではないけども、そんなふうに感じたな。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P208
大川護男(1916年4月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 大隊砲
駐屯してからな、慰安的な女の子をさがしてきたこともあったな。その場でやったな、その時分は少々悪いことしても、後でわかったらいかんというので、殺してしまやいいんや、自分らが悪いことしたら殺してしまえと部隊の中で言ってる者がいた。反日の思想が強いので全部殺してしまえという部隊があったと聞いている。その証拠に武器なんか隠してるかちょっとおかしかったら家を全部焼いてたわな。上海から南京に行くまで、自分らはいつも後方部隊やから、燃え落ちた後の部落を通った。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P325
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P271
南泰吉(1913年7月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
行軍が早くてどんどん進むもんでね。部落は日本軍が火をつけて焼けてますやろ。上陸した始めの頃は焼いてなかったけど、途中でそりゃもう、部落をどんどん焼いてました。放火分隊って、上陸の時はうちの中隊もありましたな。中隊長があの部落焼いてこいって。家の中には、住民が隠れていてますわな。それを殺さなならんのですわな。それで兵隊嫌がってましたな。その命令が出ると。おると殺さないかんのです。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P302
第16師団歩兵第9連隊 第2大隊
一週間ほどして南京からいくらか離れた南西方向の裕渓口に駐屯しました。聯隊で下がりました。そこは夜でもうっかり寝てることできませんのやで。子どもとか年いったお婆さんまで、抗日排日の教育で手榴弾かくして持って、宿舎に入ってきたのが子どもですやろ、こっちは油断しますわな。寝てる所に放り込まれるのが再々あってね。「子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺してしまえ」と聯隊長の命令がでました。二人とか三人とかの百姓を捕まえてきて、「そこらに兵隊はおるかおらんのか」などの尋問して地形を聞いて、後は殺してしまうんです。クリークの縁に連れ出して、そこに座らせました。将校は、めったに刀で首切りなんてできへんのやから、軍刀持ってるさかいに試し切りをするんです。私ら兵隊は突き殺しました。鉄砲の弾できるだけ使うなと言われてました。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P173
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P271
福田治夫(1915年10月生まれ)
第16師団歩兵第9連隊 第2大隊
一週間ほどして南京からいくらか離れた南西方向の裕渓口に駐屯しました。聯隊で下がりました。そこは夜でもうっかり寝てることできませんのやで。子どもとか年いったお婆さんまで、抗日排日の教育で手榴弾かくして持って、宿舎に入ってきたのが子どもですやろ、こっちは油断しますわな。寝てる所に放り込まれるのが再々あってね。「子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺してしまえ」と聯隊長の命令がでました。二人とか三人とかの百姓を捕まえてきて、「そこらに兵隊はおるかおらんのか」などの尋問して地形を聞いて、後は殺してしまうんです。クリークの縁に連れ出して、そこに座らせました。将校は、めったに刀で首切りなんてできへんのやから、軍刀持ってるさかいに試し切りをするんです。私ら兵隊は突き殺しました。鉄砲の弾できるだけ使うなと言われてました。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P173
安藤猛治(1915年4月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 大隊砲
上海から南京までの間には、共産党が多かったんで、あんまりいい命令は出なんだな。「見付けしだいにやっちまえ」ちゅうようなことでな。じかに聞いた話ではないけども、そんなふうに感じたな。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P208
大川護男(1916年4月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 大隊砲
駐屯してからな、慰安的な女の子をさがしてきたこともあったな。その場でやったな、その時分は少々悪いことしても、後でわかったらいかんというので、殺してしまやいいんや、自分らが悪いことしたら殺してしまえと部隊の中で言ってる者がいた。反日の思想が強いので全部殺してしまえという部隊があったと聞いている。その証拠に武器なんか隠してるかちょっとおかしかったら家を全部焼いてたわな。上海から南京に行くまで、自分らはいつも後方部隊やから、燃え落ちた後の部落を通った。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P325
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P271
南泰吉(1913年7月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
行軍が早くてどんどん進むもんでね。部落は日本軍が火をつけて焼けてますやろ。上陸した始めの頃は焼いてなかったけど、途中でそりゃもう、部落をどんどん焼いてました。放火分隊って、上陸の時はうちの中隊もありましたな。中隊長があの部落焼いてこいって。家の中には、住民が隠れていてますわな。それを殺さなならんのですわな。それで兵隊嫌がってましたな。その命令が出ると。おると殺さないかんのです。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P302
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.