南京大虐殺の実像
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2006/10/11 20:19 投稿番号: [12711 / 29399]
冷血warabi_701が数字いじりに勤しんで、ウソ100回で人を騙すカルト宣伝活動をしているので、一応書いておこう。
▼『南京大虐殺否定論13のウソ』柏書房より―─
【中国政府が堅持する「30万人」や「40万人」という象徴的な数字をあげつらう心ない人がいる。もし、アメリカの反日団体が日本の教科書に出ている原爆の死者数(実は今でも不明確だが)が「多すぎる」とか「まぼろし」だとキャンペーンを始めたら、被害者はどう感じるだろうか(秦郁彦『南京事件』中央新書、1986年、「あとがき」)。】
***
数の問題をあげつらっている秦郁彦は、このころはマトモだったのか?(笑)もっとすごい奴は藤岡信勝で、50万人虐殺から虐殺数0、もうこうなると虐殺数はカルトの妄想エレベーター状態だ。もうそこに貴重な人生を台無しにされた被害者のひとつひとつの悲劇に思いいたる想像力のかけらもない。そこには、涙を流さずに喜々として数字いじりを楽しんでいる馬鹿しかいない。
▼『南京大虐殺否定論13のウソ』柏書房より―─
南京大虐殺の実像
・・・
事件の発生区域は、南京城区(市部・戦前の人口約100万人)とその近郊の6県(県部・戦前の人口約130万人)を合わせた行政区としての南京特別市全域であり、それは南京戦の戦区であり、南京陥落後における日本軍の占領区域でもあった。南京事件における大規模な集団虐殺は城内ではなく、城外近郊の長江沿いや紫金山山麓、水西門外の近郊などで発生している。・・・中略・・・しかし、城内の空き地や田園地帯、丘陵地帯において相当規模の集団処刑は行われた。
1937年12月4日以降、総勢20万近くの日本軍が波状的に南京戦区に殺到し、包囲殲滅戦(中国軍皆殺し作戦)を展開したために、市部と県部とを合わせ100万人以上は残留していた住民が巻き込まれた。村や県域、市内に残留したり、避難逃亡中の民間人、難民は、3つの段階に分かれて犠牲になった。まず包囲殲滅戦では、「敵(中国)側」の民衆と見なされれば殺害された。南京陥落後から12月17日の中支那方面軍の入城式のための徹底した残敵掃討作戦で、多くの市民・農民・難民の男子がもと中国兵の嫌疑をかけられて摘発・連行されて集団処刑された。入城式以降、翌1938年3月の軍事占領終了までの長期にわたって継続された「敗残兵狩り」「便意兵(民間兵を着た兵士)狩り」で市部と県部に残留していた一般成年男子が連行され集団処刑された。
***
「百聞は一見に如かず」といって、書物からより映像や写真で事実を追体験した方が記憶に強く残るものだ。
1.映画『南京1937』
2・マギー牧師のフィルム関連のビデオ
3.元日本兵=村瀬守保が、南京で虐殺後の民間人を薪を積み油をかけて焼いたた写真
・・・
映画『南京1937』といえば、右翼のテロのために全国で細々と公開された。来年には、その種の映画が続々作られるようだが、日本の公開はどうなるのであろうか?
それと対比して、ユダヤ人虐待の映画が莫大な数が作られながら、同様に虐殺されたロマや精神障害者などがほとんど触れられないという問題と、今現在、ユダヤ・ナチの蛮行で殺され続けているパレスチナの悲劇がほとんど映画化されないし、映画化されても細々としか公開されないという現実。
記憶もできないという問題と誤って記憶されるという問題、いずれにせよ私たちが歴史の事実を直視しないかぎり、よりよい現在にも将来にも到達できないことは確かな事。
▼『南京大虐殺否定論13のウソ』柏書房より―─
【中国政府が堅持する「30万人」や「40万人」という象徴的な数字をあげつらう心ない人がいる。もし、アメリカの反日団体が日本の教科書に出ている原爆の死者数(実は今でも不明確だが)が「多すぎる」とか「まぼろし」だとキャンペーンを始めたら、被害者はどう感じるだろうか(秦郁彦『南京事件』中央新書、1986年、「あとがき」)。】
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数の問題をあげつらっている秦郁彦は、このころはマトモだったのか?(笑)もっとすごい奴は藤岡信勝で、50万人虐殺から虐殺数0、もうこうなると虐殺数はカルトの妄想エレベーター状態だ。もうそこに貴重な人生を台無しにされた被害者のひとつひとつの悲劇に思いいたる想像力のかけらもない。そこには、涙を流さずに喜々として数字いじりを楽しんでいる馬鹿しかいない。
▼『南京大虐殺否定論13のウソ』柏書房より―─
南京大虐殺の実像
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事件の発生区域は、南京城区(市部・戦前の人口約100万人)とその近郊の6県(県部・戦前の人口約130万人)を合わせた行政区としての南京特別市全域であり、それは南京戦の戦区であり、南京陥落後における日本軍の占領区域でもあった。南京事件における大規模な集団虐殺は城内ではなく、城外近郊の長江沿いや紫金山山麓、水西門外の近郊などで発生している。・・・中略・・・しかし、城内の空き地や田園地帯、丘陵地帯において相当規模の集団処刑は行われた。
1937年12月4日以降、総勢20万近くの日本軍が波状的に南京戦区に殺到し、包囲殲滅戦(中国軍皆殺し作戦)を展開したために、市部と県部とを合わせ100万人以上は残留していた住民が巻き込まれた。村や県域、市内に残留したり、避難逃亡中の民間人、難民は、3つの段階に分かれて犠牲になった。まず包囲殲滅戦では、「敵(中国)側」の民衆と見なされれば殺害された。南京陥落後から12月17日の中支那方面軍の入城式のための徹底した残敵掃討作戦で、多くの市民・農民・難民の男子がもと中国兵の嫌疑をかけられて摘発・連行されて集団処刑された。入城式以降、翌1938年3月の軍事占領終了までの長期にわたって継続された「敗残兵狩り」「便意兵(民間兵を着た兵士)狩り」で市部と県部に残留していた一般成年男子が連行され集団処刑された。
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「百聞は一見に如かず」といって、書物からより映像や写真で事実を追体験した方が記憶に強く残るものだ。
1.映画『南京1937』
2・マギー牧師のフィルム関連のビデオ
3.元日本兵=村瀬守保が、南京で虐殺後の民間人を薪を積み油をかけて焼いたた写真
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映画『南京1937』といえば、右翼のテロのために全国で細々と公開された。来年には、その種の映画が続々作られるようだが、日本の公開はどうなるのであろうか?
それと対比して、ユダヤ人虐待の映画が莫大な数が作られながら、同様に虐殺されたロマや精神障害者などがほとんど触れられないという問題と、今現在、ユダヤ・ナチの蛮行で殺され続けているパレスチナの悲劇がほとんど映画化されないし、映画化されても細々としか公開されないという現実。
記憶もできないという問題と誤って記憶されるという問題、いずれにせよ私たちが歴史の事実を直視しないかぎり、よりよい現在にも将来にも到達できないことは確かな事。
これは メッセージ 12709 (warabi_701 さん)への返信です.