映画(暁の脱走)
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2006/05/21 01:31 投稿番号: [11940 / 29399]
(google プログより)
日本の「反戦映画」の多くが、あくまで日本人を(空爆や軍国主義の)被害者・犠牲者の立場に置き、なかなか自らの加害性には触れない、ということは、『ひろしま』(1953年)の項で書いた。「罰」は描くが「罪」は描かない日本の「反戦映画」。上記の「ジャーナリスト二人」の発言にみられるように、戦争には必ず加害者がいるということが、まるで喧嘩両成敗かのようにすっぽりと抜け落ちているのだ。
しかし、今に生きる、いわば戦争に実感を抱けない若い世代が、それら「反戦映画」で描かれる戦争の残虐性、天皇の軍隊の非人間性、戦時下の市民の艱難辛苦などを、映画を通じて知ることも勿論重要だ。
山口淑子(戦前の李香蘭)主演で知られる『暁の脱走』は、野間宏原作・山本薩夫監督の『真空地帯』(1952年)などと同様に、皇軍の非人間的性格を描くことによって戦争の愚かさを訴える、いわば日本映画に良くあるタイプの「反戦映画」なのだが、まずもって舞台を華中戦線の最前線におき、皇軍の非道さに反して中国八路軍が人間的に描かれているという点で、希有な日本映画といえる。
しかも、田村泰次郎の原作小説『春婦伝』や黒澤明(!)の脚本の段階では、前線慰問団の女性達は歌手ではなく、朝鮮人の「日本軍慰安婦」(『ナヌムの家』の項参照)になっている。結局GHQの検閲官によって、朝鮮人慰安婦は慰問歌手に変えさせられるのだが、それでも制作者達が少なくとも日本の加害性を訴えようとしたことは、不十分であるにせよ、時代をみれば特筆に値する(のちにこの原作は鈴木清順監督の『春婦伝』に結実している)。
日本軍は、決してアメリカの軍事力だけに負けたのではなく、中国や朝鮮に対して、人間的モラルの点でも敗北したのである。ここはかなり重要だ。
(あまり、良く分からない評論だが、一つ分かった事は、朝鮮人慰安婦の存在を、当時、GHQがふせていたのじゃの。)
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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