Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
投稿者: sundegasuki 投稿日時: 2006/04/07 22:01 投稿番号: [11666 / 29399]
NHK・ETV特集から消された戦場の証言
●元陸軍伍長・金子安次さんの証言
。
金子 私が一番最初に「慰安所」に入ったのは、昭和18年のことでした。それは、臨清県というところにいたときです。当時私たちは「慰安所」とは呼びませんでした。「ピー屋」と呼んでいたんです。そこにまいりました。女の方が4人いました。すべて朝鮮人の方だという話でした。女の方が「いらっしゃい」といいました。ところが日本語がたいへんうまいのです。「おまえ朝鮮人か」、私は聞きました。「違うわよ。私は日本人よ」。「なに日本人? 大和撫子がこんなところにいるなんて、日本人の恥さらしだ」。そういうようなことで、そこで口論になりました。そして払いましたお金をふいにしてしまったんです。このようないきさつがありました。その時に彼女はこういいました。「兵隊さん、私は好きこのんでこんなところにいるんじゃないですよ。私の夫は上海事変で戦死しました。ふたりの子どもと母親をかかえて、どうやって生きていけばいいんですか」。彼女はこういったんです。私は二の句も告げずに立ち去りました。こういういきさつがありました。
検事 あなたが見た「慰安所」というのは、女性たちは自分たちの意志できていた人たちですか。
金子 違います。日本には公娼制度というのがあり、それは営業であり金儲けです。しかし、そこで働いている人は、みんな苦しいから働いているんです。金で縛られているから自由に行動できない。そこに「慰安婦」の「慰安婦」らしいところがあるんです。
検事 自由がないということですね。
こうした「慰安所」があることは、強姦の防止に役立ったと思いますか。
金子 役立っていません。
検事 それは何故でしょうか。
金子 「慰安所」にいって1円50銭払うんだったら、強姦だったらただです。我々の月給というのは、だいたい一等兵で8円80銭くらい、上等兵で11円くらい。その中から強制的に貯金をとられるんです。ですから金があまりありませんから、1円50銭払うくらいだったら、作戦にいって強姦をした方がただだというような考えがありました。
検事 あなた自身も、そういう考えの中で強姦に加わったことがありますか。
金子 あります。昭和18年、作戦にまいりました。その時にある部落で若い兵隊が一人の若い女性を連れてきました。21、2歳でしょうか。それを、6人の兵隊でくじ引きをひいて順番を決めて、ひとりひとりその女を輪姦しました。こういう事実がございます。
検事 そういった強姦をすることについて、あなたの所属していた軍隊は、どのような指示が出ていたのでしょうか。
金子 昭和14年から15年、当時日本では「生めよ増やせよ」というスローガンがありました。男の子がうまれたなら、労働力にも戦力にもなる。女の子だったら、将来のいわゆる再生産になる。だから子どもをどんどん産みなさい。そうすれば日本はどんどん栄える、こういうスローガンがありました。だからそのつもりで戦地に行きました。そうしますと命令がくるっと変わりました。女は殺せ。子どもを産むから殺せ。子どもが大きくなったら我々に反抗するから子どもも殺せ、というように上官の命令がくるりと変わったんです。そういうことですから、私たちたちはどうせ殺すのならどんどん強姦してもいい、そういう考えで私たちは強姦しました。
検 金子 先ほど強姦の問題がありましたが、陸軍刑法では強姦をすると7年以上、現場にいただけでも4年以上という刑罰があります。しかしながらなぜ私たちが強姦したかというと、確かに金の問題もありますが、現在では私たちは中国人といっていますが、しかし当時は支那人、あるいは差別的に「チャンコロ」といっていました。「チャンコロ」の女を強姦して何が悪いんだ、どっちみち殺すんじゃないか、こういうような気持ちをもって強姦したわけです。従いまして、中隊長あるいは大隊長でも自分の部下がたとえ強姦罪を犯しても陸軍刑法を出さない。自分の功績に関係するんです。そしてもう一つは、チャンコロだという劣等視があるんです。だから、われわれ兵隊は強姦をしたんです。
詳しくは↓
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/syougen/nhk_special.htm
●元陸軍伍長・金子安次さんの証言
。
金子 私が一番最初に「慰安所」に入ったのは、昭和18年のことでした。それは、臨清県というところにいたときです。当時私たちは「慰安所」とは呼びませんでした。「ピー屋」と呼んでいたんです。そこにまいりました。女の方が4人いました。すべて朝鮮人の方だという話でした。女の方が「いらっしゃい」といいました。ところが日本語がたいへんうまいのです。「おまえ朝鮮人か」、私は聞きました。「違うわよ。私は日本人よ」。「なに日本人? 大和撫子がこんなところにいるなんて、日本人の恥さらしだ」。そういうようなことで、そこで口論になりました。そして払いましたお金をふいにしてしまったんです。このようないきさつがありました。その時に彼女はこういいました。「兵隊さん、私は好きこのんでこんなところにいるんじゃないですよ。私の夫は上海事変で戦死しました。ふたりの子どもと母親をかかえて、どうやって生きていけばいいんですか」。彼女はこういったんです。私は二の句も告げずに立ち去りました。こういういきさつがありました。
検事 あなたが見た「慰安所」というのは、女性たちは自分たちの意志できていた人たちですか。
金子 違います。日本には公娼制度というのがあり、それは営業であり金儲けです。しかし、そこで働いている人は、みんな苦しいから働いているんです。金で縛られているから自由に行動できない。そこに「慰安婦」の「慰安婦」らしいところがあるんです。
検事 自由がないということですね。
こうした「慰安所」があることは、強姦の防止に役立ったと思いますか。
金子 役立っていません。
検事 それは何故でしょうか。
金子 「慰安所」にいって1円50銭払うんだったら、強姦だったらただです。我々の月給というのは、だいたい一等兵で8円80銭くらい、上等兵で11円くらい。その中から強制的に貯金をとられるんです。ですから金があまりありませんから、1円50銭払うくらいだったら、作戦にいって強姦をした方がただだというような考えがありました。
検事 あなた自身も、そういう考えの中で強姦に加わったことがありますか。
金子 あります。昭和18年、作戦にまいりました。その時にある部落で若い兵隊が一人の若い女性を連れてきました。21、2歳でしょうか。それを、6人の兵隊でくじ引きをひいて順番を決めて、ひとりひとりその女を輪姦しました。こういう事実がございます。
検事 そういった強姦をすることについて、あなたの所属していた軍隊は、どのような指示が出ていたのでしょうか。
金子 昭和14年から15年、当時日本では「生めよ増やせよ」というスローガンがありました。男の子がうまれたなら、労働力にも戦力にもなる。女の子だったら、将来のいわゆる再生産になる。だから子どもをどんどん産みなさい。そうすれば日本はどんどん栄える、こういうスローガンがありました。だからそのつもりで戦地に行きました。そうしますと命令がくるっと変わりました。女は殺せ。子どもを産むから殺せ。子どもが大きくなったら我々に反抗するから子どもも殺せ、というように上官の命令がくるりと変わったんです。そういうことですから、私たちたちはどうせ殺すのならどんどん強姦してもいい、そういう考えで私たちは強姦しました。
検 金子 先ほど強姦の問題がありましたが、陸軍刑法では強姦をすると7年以上、現場にいただけでも4年以上という刑罰があります。しかしながらなぜ私たちが強姦したかというと、確かに金の問題もありますが、現在では私たちは中国人といっていますが、しかし当時は支那人、あるいは差別的に「チャンコロ」といっていました。「チャンコロ」の女を強姦して何が悪いんだ、どっちみち殺すんじゃないか、こういうような気持ちをもって強姦したわけです。従いまして、中隊長あるいは大隊長でも自分の部下がたとえ強姦罪を犯しても陸軍刑法を出さない。自分の功績に関係するんです。そしてもう一つは、チャンコロだという劣等視があるんです。だから、われわれ兵隊は強姦をしたんです。
詳しくは↓
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/syougen/nhk_special.htm
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.