Re: 嘘吐きダーディンの与太記事
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/24 23:54 投稿番号: [11609 / 29399]
>>しかも、見出しとその直後にある要約部分には「民間人の殺害」という言葉を挿入していたが、その後の長文記事の中に「民間人の殺害」に関する具体的な説明は全くない。
>民間人については、病院に収容できなくなるくらいの負傷者が出ていることと、市内に死体が散乱している様子を描写しています。
病院の負傷者と死体だね。
それで?
>まったく根拠がありません。
1937年12月15日、ベイツは、南京の金陵大学を訪れた2人の日本の新聞記者には、『…秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と話して記者の手を握った。
しかし、同じ日に南京に居ない知人に宛てた手紙には、『…日本軍は、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行…(略)…南京で示されているこの身の毛もよだつような状態…』と書き、また、南京を去るダーディンやスティールにも同様に民間人殺害や強姦について書いたメモを渡した。
ベイツのこの行為は、宣伝工作そのもであり、ベイツが宣伝工作員だったことは間違いない。
>F・T・ダーディンからの聞き書き(2)
>私はわずか三日間しかいなかったので、正確な情報は得られませんでしたが、
ダーディンは句容に行っていて、帰って来たのが12月14日の夜だから、いきなり嘘を吐いているが、正確な情報を得られなかったことは正直に話しているようだね。
>ダーディンの言及している安全区外の中国人が「便衣兵」「盗賊」であったという証明ができないのであれば、ダーディン証言に対する根拠ある反論はないということになります。
安全区外に一般市民が居なかった根拠。
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12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令。
12月7日
何千という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、5時までに立ち退くよう警察から命令されており、それに従わなければ家は焼き払われ、スパイとみなされる、というのだ。
『ヴォートリンの日記』
12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令。
12月13日
ラーベを委員長とする安全委員会は12月17日の日本大使館宛の文書で、「13日に日本軍が入城した時には一般市民の殆ど全体を安全地区に集めていた」とある。
こうして安全区を別とすれば、南京市は人気(ひとけ)が無くなり、我々委員会のメンバー、わずかのアメリカ人新聞記者、取り残されたヨーロッパ人が2〜3人いるだけになりました。
『南京の真実』P344
1938年6月8日付け「ヒットラー宛の上申書」
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わずかの欧米人が居ただけで一般市民は誰も居なかったから、支那人が居たとすればそれは「便衣兵」とか「盗賊」の類なんだよ。
これは メッセージ 11595 (Marc_Laforet さん)への返信です.
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