Re: 『南京大虐殺否定論 13のウソ』
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/11/22 21:51 投稿番号: [10907 / 29399]
ネット上で、読みやすいものがあります。
よろしかったら、どうぞ。↓
★「南京大虐殺はなかった」という人へ
−「否定派のウソ」と「事実」−
大谷 猛夫
今、各地で「南京大虐殺はなかった」という人たちが「活発」に声高に叫んでいます。しかし、あったものをなかったということはできません。南京大虐殺否定派の主張のウソと「事実」を示してみます。[1、2]
否定派のウソ 1
「戦後の東京裁判で連合国が日本軍の残虐・非道ぶりを示すためにでっち上げたものである」
「事実」 1937年12月、南京は中華民国の首都であり、諸外国の公館も存在し、外国の報道機関も存在した。
【虐殺の報道は世界をかけめぐった。日本の外務省も軍も当時から知っていた。】
当時の外務省東亜局長石井猪太郎が回顧録でこのことを書いている。
だいたい軍が知らないということはあり得ない。
1937年12月15日以降多くの欧米の特派員が南京の事態を世界中に打電している。
とくにイギリスの「マンチェスター・ガーディアン」の中国特派員ティンバリーは1938年8月に「戦争とは何か・・・中国における日本軍の残虐行為」を出版し、日本語訳も中国語訳も出版されている。
日本の外務省はこのティンバリーの上海発の電報を押収し、南京その他で30万人を下らない中国民間人が殺されたと述べていることをワシントンの日本大使館に情報として伝えている。
戦後の東京裁判で、はじめて日本が知ったわけではない。
そもそも日本政府はこの東京裁判の結果をサンフランシスコ条約で受け入れたのである。つまり日本政府は公式に承認したということである。
否定派のウソ 2
「東京裁判の証拠資料は伝聞ばかりで、直接証拠は何もない。マギー牧師の証言は虐殺をみたのは1件だけだと言っている」
「事実」 マギー牧師はけが人や強姦の被害者の救済をしていた。
殺害現場に立ち会わなかったのは当然。・・・
否定派のウソ 3
「当時、国際的な批判はこの「事件」についてはなかった」
・・・
否定派のウソ 4
「蒋介石も毛沢東も南京のことは問題にしていない」
「事実」 1938年7月(南京陥落後)<日中戦争1周年>に蒋介石は「日本国民に告げる書」で日本軍の放火・略奪・虐殺を非難している。
「南京」という名指しはないが、この時点で中国大陸における大規模で集団的な略奪・虐殺は南京以外に考えられない。蒋介石はこのことを念頭に書いている。
次のように書かれている「・・わが婦女同胞に対する暴行がある。10歳前後の少女から5,60歳の老女までひとたび毒手にあえば、一族すべて逃れがたい。ある場合は数人で次々に辱め、被害者は逃げる間もなく呻吟して命を落とし、ある場合は母と娘、妹と兄嫁など数十人の女性を裸にして一同に並べ強姦してから惨殺した。・・・このような軍隊は日本の恥であるだけでなく、人類に汚点をとどめるものである・・・」
毛沢東は1938年1月週刊誌「群衆」で「南京大虐殺は人類に対する犯罪」と述べている。・・・
否定派のウソ 5
「当時の南京の人口は20万人しかなかった。だから30万人も殺せるはずがない」
・・・
否定派のウソ 6
「南京虐殺の目撃者はいない」
・・・
否定派のウソ 7
「李秀英さんの証言を読むと食い違いがある。実際に体験したことではない」
・・・
否定派のウソ 8
「百人斬り」というのは捏造記事である」
・・
否定派のウソ 9
「遺体埋葬記録は信用できない。たくさんの人は死んでいない」
・・
否定派のウソ 10
「とらえた捕虜が暴動をおこしたので、仕方なく発砲した」
・・
否定派のウソ 11
「日本軍が殺したのは、民間人のふりをした「便衣兵」であり、投降兵である。正当な戦闘行為である」
・・・
否定派のウソ 12
「南京虐殺は日本軍の仕業にみせかけるために中国軍の反日攪乱工作隊がやったことだ」
・・・
否定派のウソ 13
「南京大虐殺の写真はニセモノばかりである」
・・・
参考文献
[1] 南京事件調査研究会編、「南京虐殺13のウソ」大月書店、1999年
[2] 笠原十九司、「南京事件」、岩波新書、1997年
[3]小野賢二、本多勝一、藤原彰編、「行軍兵士たちが記録した南京大虐殺」、大月書店、1997年
よろしかったら、どうぞ。↓
★「南京大虐殺はなかった」という人へ
−「否定派のウソ」と「事実」−
大谷 猛夫
今、各地で「南京大虐殺はなかった」という人たちが「活発」に声高に叫んでいます。しかし、あったものをなかったということはできません。南京大虐殺否定派の主張のウソと「事実」を示してみます。[1、2]
否定派のウソ 1
「戦後の東京裁判で連合国が日本軍の残虐・非道ぶりを示すためにでっち上げたものである」
「事実」 1937年12月、南京は中華民国の首都であり、諸外国の公館も存在し、外国の報道機関も存在した。
【虐殺の報道は世界をかけめぐった。日本の外務省も軍も当時から知っていた。】
当時の外務省東亜局長石井猪太郎が回顧録でこのことを書いている。
だいたい軍が知らないということはあり得ない。
1937年12月15日以降多くの欧米の特派員が南京の事態を世界中に打電している。
とくにイギリスの「マンチェスター・ガーディアン」の中国特派員ティンバリーは1938年8月に「戦争とは何か・・・中国における日本軍の残虐行為」を出版し、日本語訳も中国語訳も出版されている。
日本の外務省はこのティンバリーの上海発の電報を押収し、南京その他で30万人を下らない中国民間人が殺されたと述べていることをワシントンの日本大使館に情報として伝えている。
戦後の東京裁判で、はじめて日本が知ったわけではない。
そもそも日本政府はこの東京裁判の結果をサンフランシスコ条約で受け入れたのである。つまり日本政府は公式に承認したということである。
否定派のウソ 2
「東京裁判の証拠資料は伝聞ばかりで、直接証拠は何もない。マギー牧師の証言は虐殺をみたのは1件だけだと言っている」
「事実」 マギー牧師はけが人や強姦の被害者の救済をしていた。
殺害現場に立ち会わなかったのは当然。・・・
否定派のウソ 3
「当時、国際的な批判はこの「事件」についてはなかった」
・・・
否定派のウソ 4
「蒋介石も毛沢東も南京のことは問題にしていない」
「事実」 1938年7月(南京陥落後)<日中戦争1周年>に蒋介石は「日本国民に告げる書」で日本軍の放火・略奪・虐殺を非難している。
「南京」という名指しはないが、この時点で中国大陸における大規模で集団的な略奪・虐殺は南京以外に考えられない。蒋介石はこのことを念頭に書いている。
次のように書かれている「・・わが婦女同胞に対する暴行がある。10歳前後の少女から5,60歳の老女までひとたび毒手にあえば、一族すべて逃れがたい。ある場合は数人で次々に辱め、被害者は逃げる間もなく呻吟して命を落とし、ある場合は母と娘、妹と兄嫁など数十人の女性を裸にして一同に並べ強姦してから惨殺した。・・・このような軍隊は日本の恥であるだけでなく、人類に汚点をとどめるものである・・・」
毛沢東は1938年1月週刊誌「群衆」で「南京大虐殺は人類に対する犯罪」と述べている。・・・
否定派のウソ 5
「当時の南京の人口は20万人しかなかった。だから30万人も殺せるはずがない」
・・・
否定派のウソ 6
「南京虐殺の目撃者はいない」
・・・
否定派のウソ 7
「李秀英さんの証言を読むと食い違いがある。実際に体験したことではない」
・・・
否定派のウソ 8
「百人斬り」というのは捏造記事である」
・・
否定派のウソ 9
「遺体埋葬記録は信用できない。たくさんの人は死んでいない」
・・
否定派のウソ 10
「とらえた捕虜が暴動をおこしたので、仕方なく発砲した」
・・
否定派のウソ 11
「日本軍が殺したのは、民間人のふりをした「便衣兵」であり、投降兵である。正当な戦闘行為である」
・・・
否定派のウソ 12
「南京虐殺は日本軍の仕業にみせかけるために中国軍の反日攪乱工作隊がやったことだ」
・・・
否定派のウソ 13
「南京大虐殺の写真はニセモノばかりである」
・・・
参考文献
[1] 南京事件調査研究会編、「南京虐殺13のウソ」大月書店、1999年
[2] 笠原十九司、「南京事件」、岩波新書、1997年
[3]小野賢二、本多勝一、藤原彰編、「行軍兵士たちが記録した南京大虐殺」、大月書店、1997年
これは メッセージ 10901 (johm_lenon さん)への返信です.