Re: 治療を受けさせた中毒患者
投稿者: monjujz 投稿日時: 2008/09/24 19:59 投稿番号: [270 / 323]
先ずは以下を読んでください。
後藤新平が如何に台湾で阿片を撲滅したかです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3>[編集] 阿片漸禁策
当時、中国本土同様に台湾でもアヘンの吸引が庶民の間で常習となっており大きな社会問題となっていた。また、「日本人はアヘンを禁止しようとしている」という危機感が抗日運動の引き金のひとつだった。これに対し新平はアヘンを性急に禁止する方法はとらなかった。まずアヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功し、アヘン患者は徐々に減少した。総督府によると、明治33年(1900年)には16万9000人であったアヘン中毒者は大正6年(1917年)には6万2000人となり、昭和3年(1928年)には2万6000人となった。なお、台湾は昭和20年(1945年)にアヘン吸引免許の発行を全面停止した。これにより新平の施策実行から50年近くかけて、台湾はアヘンの根絶、アヘンを重要な資金源としていた黒社会の勢力を大きく後退させる事にしたという見方がある一方、これによって新平自身が、杉山茂丸らをパートナーとして阿片利権・裏社会との関わりを深めていったという見方も存在する。
後藤新平の政策は後に朝鮮や満州でも実行されました。
その要旨は阿片を専売にすることにより、違法な阿片の流通を阻止する、
阿片患者を登録制にすることにより、これ以上の阿片吸引者を増やさない、
ケシ栽培農家を指定することにより、阿片流通量を制限する。
これが後藤新平の政策です。これにより台湾と朝鮮では阿片患者を撲滅することに成功しました。
ただ残念ながら、満州は管理するには広すぎました。
完全に撲滅するにはいたらなかった。
しかし少なくともこれだけはいえます。
日本の政策は、阿片患者を減らすことに努力したと言うことです。
これは メッセージ 264 (todorigafuti さん)への返信です.
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