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芝山巌神社(台湾)

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2008/11/04 08:13 投稿番号: [876 / 1344]
  当時文部省学務部長心得であった伊沢修二は「教育」をあらゆる統治政策に優先させることを進言し、七人の優秀な人材を引き連れて台湾にやってきた。(略)
  そんな折り、近衛師団を率いてやってきた北白川宮能久親王が、台南でマラリアに倒れ不帰の客となった。
  伊沢修二は、七人のうちの一人と共に親王の棺に付き添って帰国する。
  世に言う「芝山巌事件」の悲劇は伊沢の留守を襲った。
1896年1月1日、元旦の祝賀に参加すべく出掛けた六人の教師を突如暴徒が取り囲んだ。時に台湾民主国の宣言をもって日本統治に反対する勢力の抵抗活動が頻発していた頃である。
六人の教師はひるむ様子をみせず、彼らに教育の枢要を説いた。
しかし、そうした懸命の説得も聞き入れられず、血気に逸る暴徒は日本人教師達に襲い掛かり、全員を惨殺してしまう。(略)
  その後、殉職した六人の教育に対する精神が人々の間で語り継がれ、そして「六士先生の歌」もつくられた。

やよや子等   はげめよや
学べ子等   子供たちよ
慕へ慕へ   倒れてやみし先生を

歌へ子等   思へよや
すすめ子等   国のため
思へ思へ   遭難六士先生を

1930年には、事件があった芝山巌に芝山巌神社が建てられ、六士先生の他に、その後台湾で殉職した内地人(日本人)と本島人(台湾人)の教育者が祀られた。
こうして芝山巌は、台湾の教育のメッカと呼ばれるようになったのである。

「台湾人と日本精神」蔡焜燦より


台湾・パラオと親日であるのは教育者の無私の尽力によるところが大きい。
戦後の「日○組」の行状と比較すると暗澹たる思いだ。
現在の歪みの多くの元凶は明らかであろう。
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