ドゥルー女史と海苔の人工養殖
投稿者: colleonis 投稿日時: 2008/05/19 06:16 投稿番号: [341 / 1344]
2度目の投稿になります。今年の初め頃どこかのトピで海苔が話題になっていたときに誰かが貼り付けたサイトの中で面白話があったので紹介します。海苔は江戸時代から完全に養殖だと思っていたら違ったのですねぇ〜。
現在の海苔養殖は、海苔の果胞子を貝殻に潜らせて育て、果胞子が糸状に成長して再び果胞子を発芽させ、そこで生まれた胞子を海苔網に付着させて育てる「人工採苗」という方法で増殖させる。しかし、この方法が開発されるまでは、海苔の胞子は海の中に浮遊し、海岸の岩場に付着して夏を過ごし、秋口に果胞子を出すと思われていた。そこで竹ひびや海苔網を海の中に建て込み、それに自然に海苔芽が付着して成長するのを待ち、手摘みをするのが一般的であった。
ところが、海苔の胞子は春先から秋口まで貝殻の中に潜り込み、黒い糸のような状態(糸状体)で生長し、秋口に貝から飛び出し海中を浮遊することが発見された。
この発見によって初めて海苔の一生が明らかになった。
その結果、現在のような 海苔の胞子を人工的に育てて養殖する方法が考え出された。
海苔の胞子が貝殻に潜って夏を過ごすことを発見したのが、イギリスの海藻学者である。
人工養殖の生みの親で、今日の海苔養殖発展の大きな貢献者である。
その人は、イギリス・マンチェスター大学教授であった
故キャスリーン・メアリー・ドゥルー・ベーカー女史
(1901〜1957、Dr.Kathleen Mary Drew Baker)
(ドゥルー女史の紹介と業績は端折ります)
海苔の糸状体発見をいち早く日本に連絡したイギリスの海藻学者ドゥルー女史と日本とのつながりは、九州大学の故・瀬川宗吉教授と親交があったことが大きな要因になっている。
そのことは、2001年に開かれた「ドゥルー女史生誕100周年記念行事」のパンフレットに次のように書いてある。
『ドゥルー女史は九州大学の故瀬川宗吉教授と親交があり、糸状体の発見を同教授に手紙で教示され、教授は熊本県水産試験場の太田扶桑男技師に伝えられ、太田技師が研究を重ねられた結果、遂に人工採苗に成功しました。このことは、教授を通じて女史にも知らされ、日本の海苔漁民のために喜び合ったことが、当時の書簡や生前の瀬川教授の話で伝えられています。
しかし、瀬川教授がドゥルー女史に日本の海苔人工採苗をお見せしたいと思っておられた矢先に、女史は1957年(昭和32年)9月14日、突然逝去されました。享年56歳でした。教授は大変悲しまれ、「日本の海苔養殖業に大きな進歩をもたらし、偉大な業績を記念するために是非女史の記念碑を造りたい・・・」と言われていました。
ところが、瀬川教授も昭和35年に突然逝去されました。
女史を恩人と称える海苔漁民は瀬川教授の意志受け継ぎ、全国の海苔関係者から募金を募り、日本一の海苔漁場である有明海が一望できる宇土市住吉町の海岸に面する小高い丘(住吉神社の敷地内)に女史の顕彰碑を建立しました。
昭和38年4月14日に除幕式があり、女史の夫、故ライト・ベーカー氏も漁民の行為に感動して出席され、女史が大学から学位を授与されたことを証するガウンと帽子を漁民に提供されました』
その後、海苔関係者は毎年4月14日を「ドゥルー祭」と証して顕彰を続け、2001年には「ドゥルー女史生誕100周年」を行なった。昭和39年から近隣の海苔漁業者が集い「ドゥルー祭」を行なってきたが、2004年には41回目を迎えた。
「ドゥルー女史顕彰碑」の所在地は、熊本県宇土市住吉町の住吉神社境内の裏手、住吉灯台の下にあり、国道3号線の宇土市から三角・天草方面に向う、国道57号線沿いにある。昭和天皇も天草行幸の途中に住吉町を通りかかった時「ドゥルー女史顕彰碑があるそうだが」と言われ、関係者や地元民が驚いたという話しもある。
http://www.j-nori.com/yomoyama1.html
このような人と人との本当の善意が国境や人種を越えて深まり交流する姿をもっともっと
たくさん見たいものですね。
現在の海苔養殖は、海苔の果胞子を貝殻に潜らせて育て、果胞子が糸状に成長して再び果胞子を発芽させ、そこで生まれた胞子を海苔網に付着させて育てる「人工採苗」という方法で増殖させる。しかし、この方法が開発されるまでは、海苔の胞子は海の中に浮遊し、海岸の岩場に付着して夏を過ごし、秋口に果胞子を出すと思われていた。そこで竹ひびや海苔網を海の中に建て込み、それに自然に海苔芽が付着して成長するのを待ち、手摘みをするのが一般的であった。
ところが、海苔の胞子は春先から秋口まで貝殻の中に潜り込み、黒い糸のような状態(糸状体)で生長し、秋口に貝から飛び出し海中を浮遊することが発見された。
この発見によって初めて海苔の一生が明らかになった。
その結果、現在のような 海苔の胞子を人工的に育てて養殖する方法が考え出された。
海苔の胞子が貝殻に潜って夏を過ごすことを発見したのが、イギリスの海藻学者である。
人工養殖の生みの親で、今日の海苔養殖発展の大きな貢献者である。
その人は、イギリス・マンチェスター大学教授であった
故キャスリーン・メアリー・ドゥルー・ベーカー女史
(1901〜1957、Dr.Kathleen Mary Drew Baker)
(ドゥルー女史の紹介と業績は端折ります)
海苔の糸状体発見をいち早く日本に連絡したイギリスの海藻学者ドゥルー女史と日本とのつながりは、九州大学の故・瀬川宗吉教授と親交があったことが大きな要因になっている。
そのことは、2001年に開かれた「ドゥルー女史生誕100周年記念行事」のパンフレットに次のように書いてある。
『ドゥルー女史は九州大学の故瀬川宗吉教授と親交があり、糸状体の発見を同教授に手紙で教示され、教授は熊本県水産試験場の太田扶桑男技師に伝えられ、太田技師が研究を重ねられた結果、遂に人工採苗に成功しました。このことは、教授を通じて女史にも知らされ、日本の海苔漁民のために喜び合ったことが、当時の書簡や生前の瀬川教授の話で伝えられています。
しかし、瀬川教授がドゥルー女史に日本の海苔人工採苗をお見せしたいと思っておられた矢先に、女史は1957年(昭和32年)9月14日、突然逝去されました。享年56歳でした。教授は大変悲しまれ、「日本の海苔養殖業に大きな進歩をもたらし、偉大な業績を記念するために是非女史の記念碑を造りたい・・・」と言われていました。
ところが、瀬川教授も昭和35年に突然逝去されました。
女史を恩人と称える海苔漁民は瀬川教授の意志受け継ぎ、全国の海苔関係者から募金を募り、日本一の海苔漁場である有明海が一望できる宇土市住吉町の海岸に面する小高い丘(住吉神社の敷地内)に女史の顕彰碑を建立しました。
昭和38年4月14日に除幕式があり、女史の夫、故ライト・ベーカー氏も漁民の行為に感動して出席され、女史が大学から学位を授与されたことを証するガウンと帽子を漁民に提供されました』
その後、海苔関係者は毎年4月14日を「ドゥルー祭」と証して顕彰を続け、2001年には「ドゥルー女史生誕100周年」を行なった。昭和39年から近隣の海苔漁業者が集い「ドゥルー祭」を行なってきたが、2004年には41回目を迎えた。
「ドゥルー女史顕彰碑」の所在地は、熊本県宇土市住吉町の住吉神社境内の裏手、住吉灯台の下にあり、国道3号線の宇土市から三角・天草方面に向う、国道57号線沿いにある。昭和天皇も天草行幸の途中に住吉町を通りかかった時「ドゥルー女史顕彰碑があるそうだが」と言われ、関係者や地元民が驚いたという話しもある。
http://www.j-nori.com/yomoyama1.html
このような人と人との本当の善意が国境や人種を越えて深まり交流する姿をもっともっと
たくさん見たいものですね。
これは メッセージ 1 (thirteen_satan さん)への返信です.
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