ミャンマー の歴史教科書に 日本は、3
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/22 21:36 投稿番号: [201 / 1344]
一般情勢
日本時代
1942年3月イギリス軍を追い出し、ラングーンを占領した日本軍はタキン・トゥオウに命じて、治安委員会と称する行政組織を各都市に作らせた。
バマオ博士を首班とする暫定内閣を組織させた。しかし、行政組織の各部署には日本人顧問が必ず任命されていた。
1943年8月日本はビルマに「独立」を供与し、バマオ博士を行政府の長(アディパティ)に任命した。内閣総理大臣の役割を果たすものであった、アディパティは各省大臣を任命した。政府のスローガンは「ひとつの血、ひとつの声、ひとつの命令」であった。内閣のほかに、
アディパティが任命した議員による諮問評議会が設置された。
しかし、どのような諮問機関が設置されようとも、バマオ博士の率いる政府は日本軍の命令を実施するだけの政府であった。
経済
日本はビルマ国民が必要とする物資を供給できなかったばかりか、物資を運搬する船舶にも不足をきたしていた。ビルマからは米、チーク材、綿花をはじめ鉄くずや古自動車まであらゆる物を日本へと持ち去った。
日本の銀行は全く保証の無い紙幣(軍票)を際限なく発行し、ビルマの経済を破壊した、価値の無い紙幣で米や穀物を買い、時にはそれさえ払わず、もち去ることもあった。
日本時代の外国貿易は三井や三菱といった日本の大企業に独占されていた。
食糧、衣料品、医薬品の不足に苦しめられ、豆やトウモロコシ、タロ芋を食した。ビルまで取れる全ての綿花だけでなく、古着に至るまで日本人が持ち去った。マラリア、天然痘、ペスト、疥癬といった病気が蔓延した。
日本時代には、ビルマ語が公用語になり、英語に代わって日本語を学ばなければならなくなった。
これは メッセージ 200 (yominokuni56 さん)への返信です.
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