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ベトナムの歴史教科書に日本は、1

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/18 20:27 投稿番号: [181 / 1344]
ベトナムの教科書
12年生用
「歴史   第1巻」(ベトナム語)
教育省編

第10課   べトミン宣戦と8月総蜂起にいたる革命の高揚
1941〜45年

1. 日仏二重搾取下のインドシナ人民
フランスの実質的な対日降伏とインドシナ人民搾取の為の対日結託
フランスはランソンで日本に降伏して(1940年9月)から明らかに勢力が衰えた。日本はインドシナを植民地化し戦争の基地とするために引き続き地歩を固めた。(ランソン事件=日本軍が突然仏印の北部に侵攻した場所フランス兵300人を殺害したとされる)

1941年7月23日ドゥクー総督は日本と「日本・仏印共同防衛協定」と呼ばれる屈服協定を結びインドシナ全土にわたる日本軍の駐留権を認めた。(この協定により日本軍は南部仏印に進駐した)
1941年7月29日ペタン政府は直接日本と協定を結びインドシナのあらゆる空港と港の軍事目的利用を日本に認めた。(仏印共同防衛議定書)
日本は太平洋戦争を起こすとドゥクー総督にもう一つの協定を強要し以下の点について日本への全面協力を約束させた。つまり、日本軍の行軍を容易ならしめるよう協力すること、日本に食糧を供出し兵舎を建設すること、日本軍の後方基地として安全を保証するためにインドシナ社会の秩序を維持すること、などである。
それ以来、敵国日本とフランスは緊密に結託してインドシナ人民を搾取した。

日本資本主義の企業は日増しにインドシナへの投資を増大させ、商業や工業の多くの分野で活動した。インドシナ産業会社や大南公司などである。
1940年から43年の間に、日本企業の行った投資額は約1億1100万フランにのぼり、フランス企業のインドシナ総投資額の6分の1に達した。

米やトウモロコシなどの主食については、日本はフランス植民地政府に供出させた。
さらに、残酷非道にも日本は戦争に必要な原料を獲得する為に、田畑への麻やヒマの植付けを我が人民に強制した。
インドシナに足を踏み入れて以来、ファシスト日本のあらゆる経済活動は、直接的あるいはフランスを通じて間接的に略奪戦争を遂行する為、資源や食糧を出来る限り多く獲得することであった。
一方フランス植民地主義者は日本に脅迫を受けながらも最大の利益を得るため依然としてさまざまな狡猾な手段を弄した。

まず第一にフランス植民地主義政権はあらゆる「指導経済政策」をとった。これは戦争状態を利用し、インドシナ経済の独占を図り投機を盛んにして我が人民から一層の搾取する為のフランス植民地主義の一手段に過ぎなかった。2番目の手法は増税であった、このため1939年から1945年の間にフランスのインドシナ予算の総収入は倍増した。酒・塩・麻薬による税収入はその間3倍にも達した。

もう一つの非道な政策は、日本への供出用と戦争の備蓄用のための食糧とくに米の強制かつ廉価な買い付けをしたことである。この非道な政策こそ市場における深刻な食糧不足をもたらし、1945年の初頭数ヶ月間に、北部で200万人以上の我が同胞が餓死した直接の原因となった。(200万人はベトナム民主共和国が大戦後、発表した。日本政府は30万人の餓死者を発表)
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