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ペルー(加藤明)

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2008/03/16 23:53 投稿番号: [168 / 1344]
medulllaryさん
落ちると思うなら放置しておけばどうですか?
実はネタを幾つも握ってますがトピ主が出過ぎても駄目だと思っているのでね。
それに出来れば新しい話を収集したいと言うのもあるのです。
その上「荒らし」は私の出入り禁止を無視してますが。
そこまで面倒は見れませんよ。

ではペルーと加藤明氏の話

「加藤   明」と言う名前を聞いて、「ああ、あの有名な加藤さん」と思い出す人は、余程のバレー通か、新日鐵ファンということになってきたのではないでしょうか。
慶應義塾大学を昭和30年に卒業して、当時の八幡製鐵に入社、前衛のレフト(当時は9人制)として大活躍し、その天才的なバレーボールセンスは抜群であったと語り継がれています。ちょうど、6人制へ日本のバレーボール界が、大転換を迫られていたときで、6人制でも第4回世界選手権大会(昭和35年)の日本代表に選ばれるなど、輝かしい戦歴の持主であります。しかし、「加藤   明」さんの名前は、昭和35年にバレーボール部を引退し、指導者の道を歩み始めてからの活躍において、その名を永遠に残すことになったのであります。

2部に低迷していた母校、慶応のバレー部の監督を引き受け、1部に復帰させ、昭和39年のインカレでは強豪を次々破って優勝に導くなど、指導者として非凡な才能を見せた「加藤   明」氏は、南米ペルーの女子ナショナルチームの、監督を委されたのであります。現役時代からの抜群のバレーセンスとバレーボールに掛ける情熱と誰にも慕われる素晴らしい人柄は、全くのバレーボールの後進国であったペルーチームを、あっと言う間に国際的なレベルの素晴らしいチームに作り上げて行ったのでした。
「加藤   明」氏の功績の大きさは、ペルー政府のオフィシャル(叙勲)の栄に輝いたことでも判りますが、 広く国民からも慕われていたことは、ペルーを訪れた多くの日本人旅行者が「カトウを知っているか?」と聞かれたというエピソードからも、推し量ることが出来ます。
残念ながら、昭和57年(1982年)3月20日ペルー・リマ市内の病院で、49才という若さで亡くなられました。

鎌倉の材木座霊園に「惜別の碑」があり、次のように書かれています。

慶應義塾大学、八幡製鐵と白いボールに青春と男の夢をかけ、南米ペルーにまいた
一粒の種は大きく実を結んだ。ペルー政府よりオフィシャル、日本政府より勲五等
雙光旭日章と名誉ある叙勲を受け、バレーボールに限りない情熱を捧げ、多くの人々
に愛され慕われた明よ、安らかに眠れ。
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