Re: 日本と韓国の議論の広場
投稿者: aqvv2006 投稿日時: 2008/02/24 20:02 投稿番号: [91679 / 230347]
【その百済文化の今に残る数少ない文化財の1つに、扶余・定林寺跡の5重の石塔(国宝第9号)がある。1970年代、ここを初めて訪れたとき、石塔にはさくも何もなく実に牧歌的な風景だった。そして天気はいいのに塔の最下段がぬれているではないか。
もしやと思い、近づいてにおいをかいでみると、やはりオシッコの跡だった。近くで子供たちがキャッキャッいいながら遊んでいた。この時は正直言って感動した。「韓国では国宝の文化財が人びとの生活の中で息づいている!」】
韓国人に、文化財の保護は無理だと感じました。
「韓国では国宝の文化財が人びとの生活の中で息づいている!」=文化財を汚す
放火されて当たり前です。
【緯度経度】ソウル・黒田勝弘 生活に息づく文化財
2月23日8時1分配信 産経新聞
建物火災というのはどんなものでもどこか悲しいものだが、国宝・南大門の炎上はことのほか衝撃的で悲しい。ソウルのシンボルみたいな存在だったから、ソウルに来たことのある韓国好きの日本の友人たちからお見舞い(?)のメールや手紙をたくさんもらった。
今回の“事件”を機に韓国では文化財の保護や管理についての議論が盛んだ。防火設備をはじめ、驚くべき手抜きの実態が明るみに出たからだ。そんな議論を聞きながら韓国の文化財をめぐる「記憶」をひもといているところだ。
韓国生活が長くなったため、近ごろは博物館見物を含め、改めて韓国の文化財に触れることはあまりない。しかし以前は名所、旧跡にはよく出かけた。その「思い出の中の文化財」として、お気に入りの3つについて紹介してみる。
日本人は華麗に復元された慶尚北道・慶州の新羅文化より、新羅に滅ぼされた忠清南道・扶余の百済文化がどこか情緒に合う。百済滅亡(7世紀)の際の、唐・新羅連合軍と百済・日本連合軍の大海戦「白村江の戦い」への想像力を含め、百済文化に「滅びの美」を感じるからだ。
その百済文化の今に残る数少ない文化財の1つに、扶余・定林寺跡の5重の石塔(国宝第9号)がある。1970年代、ここを初めて訪れたとき、石塔にはさくも何もなく実に牧歌的な風景だった。そして天気はいいのに塔の最下段がぬれているではないか。
もしやと思い、近づいてにおいをかいでみると、やはりオシッコの跡だった。近くで子供たちがキャッキャッいいながら遊んでいた。この時は正直言って感動した。「韓国では国宝の文化財が人びとの生活の中で息づいている!」
しかしその後、行ってみると石塔の周囲には鉄さくができていて間近には接近できないようになっていた。
オシッコではこんな思い出もある。
韓国最大の文化財都市・慶州は、世界文化遺産の石窟庵や仏国寺、古墳公園などみんな素晴らしいが、街はずれの小高い南山の山中に多く散在する石仏群もいい。山道を歩いていると、やぶの中や岩陰などに仏様の顔がふと現れる。
ある時、草むらに向かって無心に用を足していると、すぐ横の岩に仏の顔が刻まれていた。申し訳なかったが、感動しつつそのまま続けさせてもらった。80年代のことだが、あの慶州・南山の仏様たちは今、ちゃんと保護されているだろうか。
一番のお気に入りだった全羅北道・益山の弥勒寺石塔(国宝第11号)は現在、解体・復元工事に入っているが、あれはすごかった。千年以上前の百済系の文化財で、韓国では最も大きな石塔といわれ、元は9重だったのが6重だけを残し約半分は崩れていた。それを日本統治時代にコンクリートで支え倒壊を防ぎ、辛うじて残った。
弥勒寺跡も野原にポツンと石塔があり実に牧歌的だった。80年代には小さなさくはめぐらしてあったが、周りには雑草が生え、接近は自由で、人びとは間近でなでたりさすったりしていた。
こんな管理状態でありながら、韓国マスコミは日本統治時代のコンクリートの支えが角度によっては醜く見えることから「日帝によって破損された」などと、見当違いの批判をしていたことを覚えている。
韓国の文化財当局は、弥勒寺石塔の復元には相当てこずっているようだが、復元されればもうあの“手触り感”はないだろう。
(中略)
先日、呉世勲ソウル市長と一緒になった席で「ぜひ古いモノを残してください。漢城・京城・ソウルが調和する街にしてください」と、日本統治時代の「京城」の文化遺産にも触れておいたのだが、あれでよかったかな。
最終更新:2月23日8時1分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080223-00000090-san-int
もしやと思い、近づいてにおいをかいでみると、やはりオシッコの跡だった。近くで子供たちがキャッキャッいいながら遊んでいた。この時は正直言って感動した。「韓国では国宝の文化財が人びとの生活の中で息づいている!」】
韓国人に、文化財の保護は無理だと感じました。
「韓国では国宝の文化財が人びとの生活の中で息づいている!」=文化財を汚す
放火されて当たり前です。
【緯度経度】ソウル・黒田勝弘 生活に息づく文化財
2月23日8時1分配信 産経新聞
建物火災というのはどんなものでもどこか悲しいものだが、国宝・南大門の炎上はことのほか衝撃的で悲しい。ソウルのシンボルみたいな存在だったから、ソウルに来たことのある韓国好きの日本の友人たちからお見舞い(?)のメールや手紙をたくさんもらった。
今回の“事件”を機に韓国では文化財の保護や管理についての議論が盛んだ。防火設備をはじめ、驚くべき手抜きの実態が明るみに出たからだ。そんな議論を聞きながら韓国の文化財をめぐる「記憶」をひもといているところだ。
韓国生活が長くなったため、近ごろは博物館見物を含め、改めて韓国の文化財に触れることはあまりない。しかし以前は名所、旧跡にはよく出かけた。その「思い出の中の文化財」として、お気に入りの3つについて紹介してみる。
日本人は華麗に復元された慶尚北道・慶州の新羅文化より、新羅に滅ぼされた忠清南道・扶余の百済文化がどこか情緒に合う。百済滅亡(7世紀)の際の、唐・新羅連合軍と百済・日本連合軍の大海戦「白村江の戦い」への想像力を含め、百済文化に「滅びの美」を感じるからだ。
その百済文化の今に残る数少ない文化財の1つに、扶余・定林寺跡の5重の石塔(国宝第9号)がある。1970年代、ここを初めて訪れたとき、石塔にはさくも何もなく実に牧歌的な風景だった。そして天気はいいのに塔の最下段がぬれているではないか。
もしやと思い、近づいてにおいをかいでみると、やはりオシッコの跡だった。近くで子供たちがキャッキャッいいながら遊んでいた。この時は正直言って感動した。「韓国では国宝の文化財が人びとの生活の中で息づいている!」
しかしその後、行ってみると石塔の周囲には鉄さくができていて間近には接近できないようになっていた。
オシッコではこんな思い出もある。
韓国最大の文化財都市・慶州は、世界文化遺産の石窟庵や仏国寺、古墳公園などみんな素晴らしいが、街はずれの小高い南山の山中に多く散在する石仏群もいい。山道を歩いていると、やぶの中や岩陰などに仏様の顔がふと現れる。
ある時、草むらに向かって無心に用を足していると、すぐ横の岩に仏の顔が刻まれていた。申し訳なかったが、感動しつつそのまま続けさせてもらった。80年代のことだが、あの慶州・南山の仏様たちは今、ちゃんと保護されているだろうか。
一番のお気に入りだった全羅北道・益山の弥勒寺石塔(国宝第11号)は現在、解体・復元工事に入っているが、あれはすごかった。千年以上前の百済系の文化財で、韓国では最も大きな石塔といわれ、元は9重だったのが6重だけを残し約半分は崩れていた。それを日本統治時代にコンクリートで支え倒壊を防ぎ、辛うじて残った。
弥勒寺跡も野原にポツンと石塔があり実に牧歌的だった。80年代には小さなさくはめぐらしてあったが、周りには雑草が生え、接近は自由で、人びとは間近でなでたりさすったりしていた。
こんな管理状態でありながら、韓国マスコミは日本統治時代のコンクリートの支えが角度によっては醜く見えることから「日帝によって破損された」などと、見当違いの批判をしていたことを覚えている。
韓国の文化財当局は、弥勒寺石塔の復元には相当てこずっているようだが、復元されればもうあの“手触り感”はないだろう。
(中略)
先日、呉世勲ソウル市長と一緒になった席で「ぜひ古いモノを残してください。漢城・京城・ソウルが調和する街にしてください」と、日本統治時代の「京城」の文化遺産にも触れておいたのだが、あれでよかったかな。
最終更新:2月23日8時1分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080223-00000090-san-int
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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