克日
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2008/02/15 19:50 投稿番号: [90530 / 230347]
韓国人の対日観の根底には、こうした忘れないようにも忘れられない痛恨の『日帝三六年』の歴史をケロッと忘れてしまい、避けて通ろうとする日本人の意識構造に対する、無言の批判がある。
植民地支配の期間中、あらゆる側面で主体的発展を抑えられていたことが、8・15解放後の建国過程でもハンデキャップとなった。38度線を境とする米ソ分割占領も日本の統治や終戦のあり方と無関係ではない。
そして、南北分断国家の体制を決定的なものにしてしまった六.二五(朝鮮戦争)の戦火に韓国の民衆が生活の基盤を根こそぎ破壊されている間に、戦後、日本資本主義はほかならぬその戦争の兵站基地として、特需ブームに沸き、復活、高度成長のきっかけをつかんだのだ。別にその事をひたすらいいつのろうとはないにしても、日本人にはこの事への痛みは忘れてほしくないという思いが残ることは当然であろう。
日本自体に責任のある歴史的ハンデキャップを抜きにして発展の度合いを単純に比較する様な日本人の視線に対して、おだやかならぬ心情が生じたとしても、無理からぬ事だというべきだろう。最近の韓国ギャラップ調査研究所の調査でも、『嫌いな国』の数値は、諸外国中では、日本が1番高く、22%を占めていると伝えられる。
スポーツの領域などでも、『日本にだけは負けさせたくない』という観衆の熱気が、ひしひしと伝わってくる事は周知の通りである。国家意識のレベルでのこだわりは明らかに存在するが、その背景にある歴史的事実が現在にまで禍根をのこしている事を想起すべきである。
1965年の韓日条約締結に至る過程でも、日本政府側は、なるべく歴史的責任に深入りすることを避ける姿勢を取った。韓国政府の当局者、民衆の責任追及の要求に対して、『第二の李・完用といわれても韓日間の紐帯を強める事が重要と信ずる』と言い放った。そして、締結された日韓基本条約第二条の、『韓日間の1910年以前の条約・協定はもはや無効(already null and void)』という文言を、日本側では、『1948年8月15日の大韓民国樹立で無効になった』と解釈しているのに対し、韓国側では、『物理的強制によるものだから併合当初から無効だった』という意味だと説明した。
米日韓反共枢軸の枠組みの中での、韓日間の政治経済的関係の密接化にもかかわらず、その内実においてぎくしゃくしたものが残りつづけたのも、一つには、韓日体制の出発点においての、歴史認識の食い違いのためである。1982年の教科書問題も、こうした文脈の中で不可避的に起こったことである。『民族精神の一大発露である三・一運動をこともあろうに暴動とは!』という心情は、細かい議論をこえて一挙に噴出した。ただし、この世論の高揚過程は、政府の操作の枠内にあり、やがて、日本文部省が根本的に悔悟したとも見えない中で、政府間の外交的妥協が計られることになった。韓国政府は、その際国民に対して、『克日』の姿勢をと呼びかけた。
植民地支配の期間中、あらゆる側面で主体的発展を抑えられていたことが、8・15解放後の建国過程でもハンデキャップとなった。38度線を境とする米ソ分割占領も日本の統治や終戦のあり方と無関係ではない。
そして、南北分断国家の体制を決定的なものにしてしまった六.二五(朝鮮戦争)の戦火に韓国の民衆が生活の基盤を根こそぎ破壊されている間に、戦後、日本資本主義はほかならぬその戦争の兵站基地として、特需ブームに沸き、復活、高度成長のきっかけをつかんだのだ。別にその事をひたすらいいつのろうとはないにしても、日本人にはこの事への痛みは忘れてほしくないという思いが残ることは当然であろう。
日本自体に責任のある歴史的ハンデキャップを抜きにして発展の度合いを単純に比較する様な日本人の視線に対して、おだやかならぬ心情が生じたとしても、無理からぬ事だというべきだろう。最近の韓国ギャラップ調査研究所の調査でも、『嫌いな国』の数値は、諸外国中では、日本が1番高く、22%を占めていると伝えられる。
スポーツの領域などでも、『日本にだけは負けさせたくない』という観衆の熱気が、ひしひしと伝わってくる事は周知の通りである。国家意識のレベルでのこだわりは明らかに存在するが、その背景にある歴史的事実が現在にまで禍根をのこしている事を想起すべきである。
1965年の韓日条約締結に至る過程でも、日本政府側は、なるべく歴史的責任に深入りすることを避ける姿勢を取った。韓国政府の当局者、民衆の責任追及の要求に対して、『第二の李・完用といわれても韓日間の紐帯を強める事が重要と信ずる』と言い放った。そして、締結された日韓基本条約第二条の、『韓日間の1910年以前の条約・協定はもはや無効(already null and void)』という文言を、日本側では、『1948年8月15日の大韓民国樹立で無効になった』と解釈しているのに対し、韓国側では、『物理的強制によるものだから併合当初から無効だった』という意味だと説明した。
米日韓反共枢軸の枠組みの中での、韓日間の政治経済的関係の密接化にもかかわらず、その内実においてぎくしゃくしたものが残りつづけたのも、一つには、韓日体制の出発点においての、歴史認識の食い違いのためである。1982年の教科書問題も、こうした文脈の中で不可避的に起こったことである。『民族精神の一大発露である三・一運動をこともあろうに暴動とは!』という心情は、細かい議論をこえて一挙に噴出した。ただし、この世論の高揚過程は、政府の操作の枠内にあり、やがて、日本文部省が根本的に悔悟したとも見えない中で、政府間の外交的妥協が計られることになった。韓国政府は、その際国民に対して、『克日』の姿勢をと呼びかけた。
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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