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韓国の花札

投稿者: mochihada2 投稿日時: 2008/02/08 06:07 投稿番号: [89218 / 230347]
>節日になれば私たちは誰ともなしに集まって花札を楽しむ。伝統遊びもあるが、それよりはやはり、花札が圧倒的だ。韓国民の代表的な娯楽に落ち着いた花札は、実は日本から渡って来た日本のカード遊びだった、ということを知る人はあまり多くないと思う。 花札はどのように流れて来たのだろうか?花札は言葉通り、花で争うゲームだ。言葉ではロマンチックなこの国民的カードゲームは、残念ながら日本の伝統カードゲームだ。ハナフダ(花札)と呼ばれるこのゲームは、一名「ハナカルタ」とも呼ばれた。現在は八八札(ハチハチフダ)と呼ばれて、日本でも楽しむ人口がかなり多数になるが、韓国花札の人気には及ばないカードゲームだ。 それでは日本に初めてカードゲームの文化が入って来たのはいつだろう。日本の安土桃山時代、すなわち1568年から1603年、豊臣秀吉が列島を掌握する時代だ。その時、ヨーロッパの宣教師がキリスト教とカステラを持って入って来る時、ポルトガルのカードゲームが列島に一緒に入って来た。今の花札の48枚は、当時ポルトカルのカードゲームが48枚だったことに来由する。日本でカルタ(哥留多)と呼ばれた理由もポルトガルでカードが、カルタ(Carta)と発音したのが理由で、一番似ている漢字をあてたもの。 このゲームは日本列島の中でも地域によって少しずつカードの様が変わったり、ゲームのやり方までも千差万別だった。 光札、タネ札、短冊札、カス札から構成された4種類は、当時の江戸時代の日本人の身分を現わし、各12枚のカードは一年12月を意味する。日本全国で一番一般化されたゲームは、
やはり上に説明した八八札だった。このカードの特徴の一つは、柳の皮(?)のカードが鬼神の手の模様をしているという点だ。このカード一枚だけで八八札ということが容易に分かる。 韓国にはこのように流れて来た。 それではいつ韓国に渡って来たのだろうか。李氏朝鮮末期、すなわち1800年後半の事で、カードの素材や姿が少しずつ変化して今に至っている。プラスチック素材に変わったのは最近の事であり、当時は紙に粗雑に印刷したカードで遊ぶことを楽しんだと伝わる。なかでも絵柄の変化が目立つのは、光札の場合、傘を差している人物が日本の士(ソンビ)から韓国の士に変わったため、使っている冠や衣装が違う。また赤丹に登場する鳥は、大部分が鴬と思っているが実はメジロだった。 当時、花札ゲームの一種だった'数闘'を楽しんだ朝鮮通信使によって、花札が初めて韓国に流れて来たし、19世紀前後これを楽しんだスシマ島(対馬?)の日本商人たちが韓国を往来して、伝わったという説もある。そのゲームは今も韓国節日に欠かすことができない全国民のカードゲームとして愛されている。いや、いつも三人が集まれば、どこでも簡便に楽しむことができる大人の娯楽ではない賭博になってしまった。 (中略>>1-5のあたり) これからは時代が変わってオンライン花札で遊ぶ世の中であり、テレビゲームはもう日本のプレイステーション(PS)3と任天堂DSやWiiが全世界ゲーム市場のかなり多数を分けあっている。毎年、私たちのお正月には、奥座敷の大人たちは花札を、向こうの部屋で子供達は日本の電子ゲームに夢中になっている。花札も良くてポーカーも良いが、私たちのゲーム文化がないのが残念だ。

そう、お前さん達は独自のゲーム文化のない犬食い、ゴミ食い、糞食い劣等民族。   ゲームまで日本から教えてもらわなければいけない状態だった。   最近は花札の模様まで韓国独自の物に変えてしまい、その内花札まで韓国が産み出した物と言い出すのでしょう。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=78532&servcode=400&sectcode=400
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