百済の武寧王の系譜は絶えたから「ゆかりw
投稿者: stonecalcall 投稿日時: 2008/02/05 20:33 投稿番号: [89035 / 230347]
>日本に戻って来た武寧王の子孫は、全員6〜7世紀に来ていた。
武寧王の約2百年後の子孫の一人が和乙継で、その娘の高野新笠が桓武天皇の生母だったということ。<
無理www
歴史は曲げられないw
武寧王の一族・・・百済最初の危機の後に滅んでるので、直系ではありませんが?
倭の人質になっていた直系は、婚姻した形跡なく死んでいる。
>武寧王の子孫
523年の武寧王没後、百済王を継承したのは聖王(余明)であるが、『日本書紀』は514年に百済太子淳陀が倭国で死去したと伝える。
武寧王の本来の太子は淳陀であるが、倭国で死去したために余明が代わって太子となったという解釈も可能である。この淳陀太子がいつ倭国に来たのか記載はないが、一部には武寧王は若い頃倭国に滞在しており、淳陀は倭国で生まれ、そのまま滞在していたと主張する説がある。
『続日本紀』によれば、桓武天皇の生母の高野新笠は、この淳陀太子を遠祖とする百済系の帰化氏族和氏の出自であるとしている。新笠は皇后になることはできなかったが、桓武天皇の生母として皇太夫人と称された。<
「遠祖とする」
つまり、子孫の一人とは、言えない。
しかも、死後、二百年語の遠縁って・・・w
何の系譜図も残ってない。何代目かも分からない。どかで関係があった「らしい」というだけ。
遠縁らしい、としか言いようがない。
>母方の高野新笠自身の経歴がはっきりしない事もありますが・・・・武寧王の子孫とあっても、直系ではない可能性が非常に高い存在で、だからこそ、『ゆかり』としか言いようがないのでしょうね。
高野新笠は、経歴も分からないし、生年自体分かりません。武寧王から、7代から16代までと諸説あり、今のところ、13代目というのが最も有力らしいです。
まず、これだけでも、朝鮮人である可能性は低いと考えられるのは、当時の百済を追うと、簡単に分かります。
百済の武寧王(西暦462?−523、在位 501−523)
百済の滅亡
660年
白村江の戦
663年(日本と唐との戦い)
高野新笠(?−789)
白壁王・光仁天皇(709−781、在位 770−781)
山部王・桓武天皇(737−806、在位 781−806)
つまり、既に出身とされる武寧王の一族が滅んでから、200年以上経って、日本で生まれた人間ですね。それが、母方の高野新笠。<
しかも、今の朝鮮人とは、何の繋がりも関係もない話wwwww
これは メッセージ 89032 (ywnpn069 さん)への返信です.
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