Re: 君は間違った常識を刷り込まれている
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2008/01/10 12:04 投稿番号: [84888 / 230347]
>まず世宗が短期間に作ったとされるハングル文字は確証は無いが、一説に依ると日本の対馬に伝わる古代日本文字(阿比留(アヒル)文字)を真似て作られたのではないかと言うこと。参考URL ハングル文字で検索のこと。また折角作ったハングルは朝鮮では一向に普及せず、結果的に日本の併合時に日本に依って朝鮮に普及した皮肉な事実。<
神代文字は、ハングルのパクリだろう?
中臣氏とともに代々朝廷の祭祀を勤めていた古代氏族である斎部氏の長老・斎部広成は、『古語拾遺』(808年)において「蓋聞 上古之世 未有文字 貴賤老少 口口相傳 前言往行 存而不忘」と記し、漢字渡来以前の日本には文字が存在しなかったことを明白に述べている。
>世宗自身は勉強家で有ったが、民衆に文化を拡大する努力も能力も無かったこと。<
1432年に王立天文台である簡儀台を設置し、渾天儀など多くの天体観測器を製作させた。また、時間を測定する日時計(仰釜日晷など)と水時計(自撃漏など)も製作させた。
1441年に発明された「測雨器」は世界最初の雨量計であるといわれ、農業気象学に資した。また、農業技術の改良と勧奨のために『本国経験方』『農事直説』などの農書を編纂させた。
世宗代には活字・印刷技術も発展を遂げた。1403年に発明された青銅活字「癸未字」の欠点を補完するため、新しい青銅活字である「庚子字」(1420年)、「甲寅字」(1434年)を開発させた。
1444年に設置された「火砲鋳造所」では火薬や火器の製造・開発がおこなわれ、火砲の鋳造法と火薬使用法、規格を図示した『銃筒謄録』が刊行された。
世宗は朴堧に楽器の製作、郷楽の創作、井間譜の創案などを命じた。これにより朝鮮の雅楽の復興期が到来したといわれる。
このほか、世宗代に編纂された書籍として、医学書『医方類聚』、仏教書『釈譜詳節』などがある。
>1910年に日韓併合で日本が統治するまで文盲率が90%を越えていたことが何よりもそれを証明している。<
日本の幕末より高いだろう?
日本は明治維新までの身分階級では、苗字も無かった農民の比率が80〜85%位。当然文盲だな。
少なくとも李氏朝鮮時代の身分階級から、両班と中人階級は、官吏の科挙試験が有るから猛勉強するわけだな。李氏朝鮮末期も身分制度崩壊寸前でもこの比率は変わらないだろう。だから、併合時の1910年には大韓帝国には公立学校146校、私立学校2250校、書堂2万5000校も有ったわけさ。(内100校は、日本政府による新設日本人学校)
日本も38年の明治元年まで遡れば、日本も李氏朝鮮も何等変わらない。少し文明開化が早かっただけさ。
参考
1901年に、大邱(テグ)における身分別人口の推移について行われた研究がある。
1760年代には両班が8%、中人と常民が51.5%、賤民が40.5%という人口構成であったのが、1864年には両班が65.48%、中人と常民が33.96%、賤民がわずか0.56%にまで減っている。
神代文字は、ハングルのパクリだろう?
中臣氏とともに代々朝廷の祭祀を勤めていた古代氏族である斎部氏の長老・斎部広成は、『古語拾遺』(808年)において「蓋聞 上古之世 未有文字 貴賤老少 口口相傳 前言往行 存而不忘」と記し、漢字渡来以前の日本には文字が存在しなかったことを明白に述べている。
>世宗自身は勉強家で有ったが、民衆に文化を拡大する努力も能力も無かったこと。<
1432年に王立天文台である簡儀台を設置し、渾天儀など多くの天体観測器を製作させた。また、時間を測定する日時計(仰釜日晷など)と水時計(自撃漏など)も製作させた。
1441年に発明された「測雨器」は世界最初の雨量計であるといわれ、農業気象学に資した。また、農業技術の改良と勧奨のために『本国経験方』『農事直説』などの農書を編纂させた。
世宗代には活字・印刷技術も発展を遂げた。1403年に発明された青銅活字「癸未字」の欠点を補完するため、新しい青銅活字である「庚子字」(1420年)、「甲寅字」(1434年)を開発させた。
1444年に設置された「火砲鋳造所」では火薬や火器の製造・開発がおこなわれ、火砲の鋳造法と火薬使用法、規格を図示した『銃筒謄録』が刊行された。
世宗は朴堧に楽器の製作、郷楽の創作、井間譜の創案などを命じた。これにより朝鮮の雅楽の復興期が到来したといわれる。
このほか、世宗代に編纂された書籍として、医学書『医方類聚』、仏教書『釈譜詳節』などがある。
>1910年に日韓併合で日本が統治するまで文盲率が90%を越えていたことが何よりもそれを証明している。<
日本の幕末より高いだろう?
日本は明治維新までの身分階級では、苗字も無かった農民の比率が80〜85%位。当然文盲だな。
少なくとも李氏朝鮮時代の身分階級から、両班と中人階級は、官吏の科挙試験が有るから猛勉強するわけだな。李氏朝鮮末期も身分制度崩壊寸前でもこの比率は変わらないだろう。だから、併合時の1910年には大韓帝国には公立学校146校、私立学校2250校、書堂2万5000校も有ったわけさ。(内100校は、日本政府による新設日本人学校)
日本も38年の明治元年まで遡れば、日本も李氏朝鮮も何等変わらない。少し文明開化が早かっただけさ。
参考
1901年に、大邱(テグ)における身分別人口の推移について行われた研究がある。
1760年代には両班が8%、中人と常民が51.5%、賤民が40.5%という人口構成であったのが、1864年には両班が65.48%、中人と常民が33.96%、賤民がわずか0.56%にまで減っている。
これは メッセージ 84874 (korea_dame さん)への返信です.
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