朝鮮は日本に併合をお願いしたの捏造
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2008/01/02 09:46 投稿番号: [82803 / 230347]
1905年の第二次日韓協約(通称「保護条約」)の現実
大韓帝国皇帝内謁見前に日本は王城前に軍隊を配置、鐘路付近で歩兵一大隊、砲兵中隊、騎兵連隊の演習を行い威圧。
15日、皇帝に内謁見した伊藤博文は、「韓国は如何にして今日に生存することを得たるや、将又韓国の独立は何人の賜ものなるや。貴国に於ける対外関係いわゆる外交を貴国政府の委任を受け、我政府自ら代って之をおこなう。之を御承諾あるとも、又或は御拒みあるとも御勝手たりといえども、もし御拒み相成らんか、帝国政府はすでに決心する所あり。其結果は果して那辺に達すべきか、けだし貴国の地位は此条約を締結するより以上の困難なる境遇に座し、一層不利なる結果を覚悟せられざるべからず」
17日夜、伊藤博文は参内に際し、長谷川軍司令官と佐藤憲兵隊長を帯同、王宮内は日本兵に制圧された状態で最終交渉が開始された。韓国閣僚との折衝の席上、伊藤は抵抗する韓圭ソル参政が辞意を漏らすと、「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまえ」と大声を出した。これは伊藤の随員であった西四辻大佐の「韓国外交秘話」にも記録がある。
※海野福寿編「日韓協約と韓国併合」明石書店、1995年』
一進会は、1909年12月「韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)」を純宗、第二代韓国統監曾禰荒助、首相李完用に送り、韓日合邦を要請している。
一進会の主張はあくまで日韓両国民の対等な地位に基づく日韓共栄であって日本の考える韓国の吸収併合とは全く異なるものであることや、日韓併合については韓国側の要求は一切受け入れない方針であったため日本政府は一進会の請願を拒否した。
日韓併合後、親日派/非親日派の政治団体の対立による治安の混乱を収拾するため、全ての政治団体を解散させた。この解散は一進会も同様であり、一進会は併合直後の1910年9月12日に日本政府によって解散を命じられ、同年9月25日に解散した。
一進会参加者の中には自らの対等合邦の主張が受け入れられず、結果的に祖国を日本に吸収させる一翼を担ってしまったことから後悔の気持ちと共に日本に騙されたとの印象を持つものも少なくなかった。
どう見ても、脅しと騙しで韓国を併合してるね。
大韓帝国皇帝や大臣を、宮城内外を日本の軍隊で取り囲み脅し、さらに一進会を親日団体として利用するだけ利用し、用なしになったら切り捨てる騙し手法が、暴力団や詐欺師と何等変わらない。
これは メッセージ 82800 (attoko12345 さん)への返信です.
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