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Re: 神社の起源は朝鮮半島にあり

投稿者: shimazu_yoshihiro_2008 投稿日時: 2008/01/01 10:53 投稿番号: [82509 / 230347]
>根拠あるんなら

>証明しなさい


秦氏の末裔にお尋ねするのが筋だろう?秦氏に関係のない貴殿が口出しすることか?(笑)。

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・・・一方秦氏は一族(120県・1万人?または10万人?)が、応神天皇の招きによって百済から渡来したのは、高句麗と倭が朝鮮半島の宗主権を巡って激しい戦いを演じていた4世紀末〜5世紀初頭のことだ。
月氏出身の上将の卓が中馬韓国(辰国)を建てる。…辰韓=秦韓との関係は?
秦氏は「ユンズの君」ということで、中央アジア三日月大国・別名は弓月(クルジャともいう・現在ウイグル自治区のある場所・東トルキスタン北部にクルジャという地方がある)という国から来ているそう。

秦氏は後(8〜9世紀)に自らを「秦の始皇帝の子孫」と言ったという。しかしこれは?がつく。始皇帝の子孫なら原始キリスト教徒説は成り立たない。景教徒説も当然×である。時代がさかのぼり過ぎる。その頃秦帝国のすぐ隣は月氏(アーリア系のカッシート族)の国家であった。

「三国志」の中の「魏志」、その中の「東夷伝」、さらにその中の「韓伝」に秦韓の起源が記されている。
「新羅の老人の話によると、朝鮮半島に、はじめ馬韓があった。あるとき大陸から秦の役を避けて多くの人が半島に移住してきた。彼らは秦人とよばれ、馬韓の人間とは風俗・習慣・言語がまったく異なっていた。馬韓人は秦人の人数が増えたのでこれを忌み嫌って土地の西の方を分けて与えた」
飛鳥照雄・三神たける「秦氏の謎」p126^7参照

彼らは元々柵外の民族で、「秦の労役を嫌って半島に逃れてきた」とある。柵外とは中央アジアのことで秦帝国のすぐ西側のことである。失われた十部族は紀元1〜2世紀までアフガニスタン付近に居たのである。原始キリスト教徒も同じ時代だ。秦帝国と関係が深いなら年代的にみてイスラエルとはいえないのではないか。
イスラエルのヨセフ・アイデルバーグはヤマトゥという地名を三日月大国=弓月国のあった現在ののウイグルに発見したという。
奇妙なことに日本の秦氏はココの出であるというのは、この分野の常識である。彼ヨセフは、天皇家の祖先ないし日本の有力氏族が大和朝廷を樹立したのは4〜5世紀の頃であったとみなしていたようだ。

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▲何処に現在の韓国と関係があると書かれているか?
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