Re: 日本人のノーベル賞1
投稿者: chokubarimalsal 投稿日時: 2007/12/31 11:26 投稿番号: [82254 / 230347]
>母国で暮らせないから寄生してるんだろ?「大姦貧国
ミチンゲセキ ここ韓国だ。日本庶民の生活? 知ってるぞ。貧しい生活大変だろう。
汚い 糞民族
http://cafe.naver.com/killzap/13042
全部死ねばいい。糞民族 罪があるから天も許さないぞ
http://cafe.naver.com/killzap/1962
日本軍は軍の士気を高めるために民間人虐殺を競争的にそそのかした。
新聞はこのような殺人競争をインタビューしてその勝者を報道した。 そういうインタビューは殺人者を誇らしい行為をした人物で操作したし,彼らの勇気は記録されて広く知られた。 このような暴悪な殺人競争中一つを南京で探してみることができて,これに対する記録は主要新聞にのせられて,全世界に報道された。 この野蛮で残忍な行為は普通の人の想像を越えるということだった。 下のような事実で南京を攻撃して占領した頃チュルン(南京郊外周辺都市)に駐留していた片桐派遣部隊には2人の将校があった。 彼らの名前はムカイ・トシアキ,ノダ・タケシであった。 この二下級将校は彼らに勇壮(勇気ある長寿)というホチンウルバドゥムロソ最も強い侍精神の所有者というものを現わしたことに自負心を感じていた。 彼らの上官は励ましたし殺人沙盒を許可した。 誰が先に南京を占領する前に100人を殺して光栄を占めるのかというものが競争の目標であった。 彼らはTangsanに到着した時,ムカイ・トシアキは89人を,ノダ・タケシは78人を殺した。 彼らの目標の100人は失敗したが競争は止めなかった。 たとえ二枚教皆目標を満たせなかったが彼らの上官は彼らの労苦を破らなかった。 上官は何回も励まして褒賞したし彼らの奮闘を後押しした。 大阪の毎日新聞と東京のニッチニッチ新聞と日本チラシ(英文版)はこの殺人競争を記事化した。 ムカイ・トシアキとノダ・タケシはここで止めなかった。 彼らの名誉が弱くなるのを願わなかったし,南京陥落後資金産(山)麓で2人の将校は競争をずっと繋いでいった。 すでにムカイ・トシアキは106人を戸田タケシは105人を殺したが誰が先に100人を記録したのか知らなかった。 二人とも目標は越えたが誰が先に達成したのか分かる方法がなかった。 しかし彼らはこの競争を'親善ゲーム'と考えたし,ムカイ・トシアキは'おもしろいこと'と話した。 その時点で勝者を分けられないと二枚教は150ミョンウロモクピョを変えたり1000人を目標にする大きい計画を考えた。 計画を修正した後二枚教は競争での楽しみを継続して感じた。 ("ある記録によればムカイ・トシアキは250人を殺して,ノダ・タケシを大きく追い抜いた。 それでノダ・タケシは1000人を目標にする競争をムカイに提案した。" (資料:大阪毎日新聞1938年2月9日付)
人間でもない残酷な日本猿ら、昭和日王あいつの骨を焼いて海に捨てる日が
世界平和になる日。。
http://cafe.naver.com/killzap/10041
ミチンゲセキ ここ韓国だ。日本庶民の生活? 知ってるぞ。貧しい生活大変だろう。
汚い 糞民族
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全部死ねばいい。糞民族 罪があるから天も許さないぞ
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日本軍は軍の士気を高めるために民間人虐殺を競争的にそそのかした。
新聞はこのような殺人競争をインタビューしてその勝者を報道した。 そういうインタビューは殺人者を誇らしい行為をした人物で操作したし,彼らの勇気は記録されて広く知られた。 このような暴悪な殺人競争中一つを南京で探してみることができて,これに対する記録は主要新聞にのせられて,全世界に報道された。 この野蛮で残忍な行為は普通の人の想像を越えるということだった。 下のような事実で南京を攻撃して占領した頃チュルン(南京郊外周辺都市)に駐留していた片桐派遣部隊には2人の将校があった。 彼らの名前はムカイ・トシアキ,ノダ・タケシであった。 この二下級将校は彼らに勇壮(勇気ある長寿)というホチンウルバドゥムロソ最も強い侍精神の所有者というものを現わしたことに自負心を感じていた。 彼らの上官は励ましたし殺人沙盒を許可した。 誰が先に南京を占領する前に100人を殺して光栄を占めるのかというものが競争の目標であった。 彼らはTangsanに到着した時,ムカイ・トシアキは89人を,ノダ・タケシは78人を殺した。 彼らの目標の100人は失敗したが競争は止めなかった。 たとえ二枚教皆目標を満たせなかったが彼らの上官は彼らの労苦を破らなかった。 上官は何回も励まして褒賞したし彼らの奮闘を後押しした。 大阪の毎日新聞と東京のニッチニッチ新聞と日本チラシ(英文版)はこの殺人競争を記事化した。 ムカイ・トシアキとノダ・タケシはここで止めなかった。 彼らの名誉が弱くなるのを願わなかったし,南京陥落後資金産(山)麓で2人の将校は競争をずっと繋いでいった。 すでにムカイ・トシアキは106人を戸田タケシは105人を殺したが誰が先に100人を記録したのか知らなかった。 二人とも目標は越えたが誰が先に達成したのか分かる方法がなかった。 しかし彼らはこの競争を'親善ゲーム'と考えたし,ムカイ・トシアキは'おもしろいこと'と話した。 その時点で勝者を分けられないと二枚教は150ミョンウロモクピョを変えたり1000人を目標にする大きい計画を考えた。 計画を修正した後二枚教は競争での楽しみを継続して感じた。 ("ある記録によればムカイ・トシアキは250人を殺して,ノダ・タケシを大きく追い抜いた。 それでノダ・タケシは1000人を目標にする競争をムカイに提案した。" (資料:大阪毎日新聞1938年2月9日付)
人間でもない残酷な日本猿ら、昭和日王あいつの骨を焼いて海に捨てる日が
世界平和になる日。。
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これは メッセージ 82251 (miyasuko1230 さん)への返信です.
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