Re: 日本の起源
投稿者: circinus48 投稿日時: 2007/12/31 00:59 投稿番号: [82201 / 230347]
>朝鮮の祖先の方々の日本文化への功績も大きいと思いました。
半島在住の純朝鮮人に一切見られない、祖先を尊重するという点に留意するのは、日本暮らしの長い在日の方でしょうね。でも、それが、靖国という、自分たちの祖先や先人を尊ぶという日本人的意識に発展しない、という矛盾点を抱えたりしてるかもですね。
言っておきますが、今の日本は、半島の影響ではなく、圧倒的に西洋の影響を受けています。しかし、そのことで、西欧人が、日本人に、西欧の真似だと揶揄することはありません。
西欧のものが日本に取り入れられ、日本風にこなれたものが逆輸出され、それが西欧人を喜ばすことはあっても、それは西欧が先ニダだなどと言って、日本ふうにこなれた新しい文化、伝統、商品などの手柄を横取りしようとはしません。
誰に強いられたのでもなく、日本は自力でその道を選びました。
自力で選ぶことのなかった、中国や朝鮮半島に、彼らが理解できなかったものを、無理やり、強制的に作りました。
日本が恨まれているのは、奪ったからではなく与えたからです。
不思議に思うかもしれませんが、現代の世界標準とは全く違い、特アとは、そういう国だったのです。
まるで、昔から、人権が自分の国にあったかのように威張ってますが、だいたい人権というものがどうして生まれたかというといえば、それは、弱者として悪用し振り回す朝鮮や中国など、近代以降、支配する側に回ったことのない国には何の関係もない理屈からできたものです。
戦後、落ちぶれた西欧が、自分たちを慰安するために作った人権という言葉で、自分たち西欧の中から、また元手タダの植民地支配で自国を富ませるという抜け駆けをするものが出ることを許さない意味で生まれたのが、人権という概念でもあります。
今では妙に美しいもののようになっているますが、また、現実に、そうあるべきですが、もとは、敗戦国を裁くために徹底利用された戦後の武器の意味も確かにありました。
つまり、人権は、敗戦国を責めるために使用するためと、西欧列強の抜け駆けを防ぐための両方の意味があったのです。
人権が敗戦国を責めるために使用されたという伝統は、引き続き中国にていよく悪用されてますし、人権という言葉がどれほどの威力を持つか、目の当たりにした西欧列強にとってに絶大な効果を発揮し、その後の抜け駆け防止と、また、第二次大戦終戦後の、植民地支配をしてる場合じゃなく自国の再建にこそ心血を注がねばならなかったヨーロッパの世界情勢にもマッチしていたのです。
もともと人権という言葉が、敗戦国を謗るために絶大な効果を発揮するところから生じたものであるため、それに味をしめた特アが、後々、これを悪用しない手はないというのが、今に至る現状です。
話がそれましたが、文化や伝統は、知的所有権とは全く別物です。
東洋人からすれば、西欧の文化は同じに見えても、本人たちからすれば、全然、違う!と強弁します。しかし、西欧人から見た東洋は、全然、違う国の文化がごっちゃになっていたりして違和感を覚えることもしばしばです。
現代のように、東洋だけではなく、西欧の文化や伝統まで混ざり合って、新たなものが生じていくのが、100年後、200年後の人が見る人たちにとって昔の歴史にあたるもの、現代です。
しかし、100年後も、西欧人はいろいろな文化と混じった逆輸入を楽しみ、朝鮮人はなおウリがいなければ日本もなく、日本がなければ世界の今もなかったなどと言っていることでしょう。
半島在住の純朝鮮人に一切見られない、祖先を尊重するという点に留意するのは、日本暮らしの長い在日の方でしょうね。でも、それが、靖国という、自分たちの祖先や先人を尊ぶという日本人的意識に発展しない、という矛盾点を抱えたりしてるかもですね。
言っておきますが、今の日本は、半島の影響ではなく、圧倒的に西洋の影響を受けています。しかし、そのことで、西欧人が、日本人に、西欧の真似だと揶揄することはありません。
西欧のものが日本に取り入れられ、日本風にこなれたものが逆輸出され、それが西欧人を喜ばすことはあっても、それは西欧が先ニダだなどと言って、日本ふうにこなれた新しい文化、伝統、商品などの手柄を横取りしようとはしません。
誰に強いられたのでもなく、日本は自力でその道を選びました。
自力で選ぶことのなかった、中国や朝鮮半島に、彼らが理解できなかったものを、無理やり、強制的に作りました。
日本が恨まれているのは、奪ったからではなく与えたからです。
不思議に思うかもしれませんが、現代の世界標準とは全く違い、特アとは、そういう国だったのです。
まるで、昔から、人権が自分の国にあったかのように威張ってますが、だいたい人権というものがどうして生まれたかというといえば、それは、弱者として悪用し振り回す朝鮮や中国など、近代以降、支配する側に回ったことのない国には何の関係もない理屈からできたものです。
戦後、落ちぶれた西欧が、自分たちを慰安するために作った人権という言葉で、自分たち西欧の中から、また元手タダの植民地支配で自国を富ませるという抜け駆けをするものが出ることを許さない意味で生まれたのが、人権という概念でもあります。
今では妙に美しいもののようになっているますが、また、現実に、そうあるべきですが、もとは、敗戦国を裁くために徹底利用された戦後の武器の意味も確かにありました。
つまり、人権は、敗戦国を責めるために使用するためと、西欧列強の抜け駆けを防ぐための両方の意味があったのです。
人権が敗戦国を責めるために使用されたという伝統は、引き続き中国にていよく悪用されてますし、人権という言葉がどれほどの威力を持つか、目の当たりにした西欧列強にとってに絶大な効果を発揮し、その後の抜け駆け防止と、また、第二次大戦終戦後の、植民地支配をしてる場合じゃなく自国の再建にこそ心血を注がねばならなかったヨーロッパの世界情勢にもマッチしていたのです。
もともと人権という言葉が、敗戦国を謗るために絶大な効果を発揮するところから生じたものであるため、それに味をしめた特アが、後々、これを悪用しない手はないというのが、今に至る現状です。
話がそれましたが、文化や伝統は、知的所有権とは全く別物です。
東洋人からすれば、西欧の文化は同じに見えても、本人たちからすれば、全然、違う!と強弁します。しかし、西欧人から見た東洋は、全然、違う国の文化がごっちゃになっていたりして違和感を覚えることもしばしばです。
現代のように、東洋だけではなく、西欧の文化や伝統まで混ざり合って、新たなものが生じていくのが、100年後、200年後の人が見る人たちにとって昔の歴史にあたるもの、現代です。
しかし、100年後も、西欧人はいろいろな文化と混じった逆輸入を楽しみ、朝鮮人はなおウリがいなければ日本もなく、日本がなければ世界の今もなかったなどと言っていることでしょう。
これは メッセージ 82181 (hirokodesu2877 さん)への返信です.
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