エルグ!ゾンビみたいに頑張ってるな
投稿者: nihon_kai_2006 投稿日時: 2007/12/25 02:37 投稿番号: [80560 / 230347]
> 見るも痛々しいのは、疥癬、しらくも頭、たむし、ただれ目、不健康そうな発疹など嫌な病気が蔓延していることである。村人達の三〇パーセントは、天然痘のひどい跡を残している。<
おぼえていないだろうが、しばらくだ
散々、叩かれまくって泣きを入れていたのに、ここに来たらゾンビみたいに息を吹き返したようだな
おとなしくしていれば良いものを。
アバターも嫌われ者に良く似合ってる
お前という言い方は誰に対してでも嫌いだから、とりあえずエルグと呼んでおこう
前は、朝鮮人とは認めずに世界人とか言って逃げ回っていたのに開き直ったか
エルグの手法はバレバレさ
いろいろ悪態をついて、日本と朝鮮を比較するときは、日本の一番貧しいところとか遅れたところと、朝鮮の一番優れたところを比較して得意がっている
得意技は、日本の乞食と朝鮮の何十年も後の平民を比較すること、それでもどちらかというと、日本のほうが小奇麗。
全然進歩していないじゃないか。
また、突っ込まれて逃げ回らなければならなくなるぞ
イザベラ・バードは日本と朝鮮を旅して貴重な当時の風俗を精細に書残してくれた。昔の日本や朝鮮の風俗を知る上で、貴重な女性探検家と言ってもいいと思う。
ところで、エルグは得意がっているが、バードが日本と朝鮮を旅して回ったときの年代と場所を知っているか?
○ 日本探検旅行:1878(明治11)年6月〜9月、東北から北海道を旅行
○ 朝鮮探検旅行:1894(明治27)年1月〜1897(明治30)年3月、
朝鮮、中国(満洲・北京あたり)、ロシア(沿海部)を旅行
20年近くも開きがあるんだよ。
戊辰の奥州戦争でぼろぼろになった日本の東北地方を西南の役が済んだばかりの頃に旅したのだから、日本で最も貧しい時期の貧しいところを旅したといえる。
そんなところをほとんど予備知識もなしに旅行しているのに、概ね日本に好感を持って旅行記を書いている。
エルグが書いた村は栃木の山奥の村だが、それから15年も20年も後の日清戦争が始まる前の朝鮮の首都と比べてどうよ。
全然、問題にならないじゃないか。その他に書いてあることも書けよ。
日清戦争が始まって、バードが朝鮮(支那)から日本に避難してきたときのことを書こうか。
------------------------
「長崎」
戦時中であり、船が戦争にとられているうえ状況も不穏なため外洋交通は徹底的に乱れていた。大海戦が勃発するといううわさが飛ぶなかで、何週間かかけて汽船を探したが、ようやく見つかったのは、乗客ひとりだけならとしぶしぶ応じてくれたドイツの小型船しかなかった。
そして悪天候にもまれた船で快適とはほど遠い五日間をすごしたのち、ちょうど菊が満開の季節を迎え、まっ赤な紅葉の燃えるように美しい長崎で、わたしはそれまでとはがらりと変わった気持ちのいい一日を味わった。照明もあり、清潔で、完璧なまでに治安もよく、道路には穴ぼこもごみの山もない ― この矮人と人形のこぎれいな町は、清国のほとんどどの都市ででも外国人居留地の外に出さえすれば見られる、吐き気を催すような不潔さやみすぼらしさとは、胸のすく対照を示していた。
------------------------
朝鮮の大好きな宗主国様の清国と比べてもこんな感じ、まして朝鮮と日本とでは桁違い。
悪いことは言わないから、自分のところに帰りな。
―――――――――――――――――
run_run72 さん、遅くまでご苦労様
おぼえていないだろうが、しばらくだ
散々、叩かれまくって泣きを入れていたのに、ここに来たらゾンビみたいに息を吹き返したようだな
おとなしくしていれば良いものを。
アバターも嫌われ者に良く似合ってる
お前という言い方は誰に対してでも嫌いだから、とりあえずエルグと呼んでおこう
前は、朝鮮人とは認めずに世界人とか言って逃げ回っていたのに開き直ったか
エルグの手法はバレバレさ
いろいろ悪態をついて、日本と朝鮮を比較するときは、日本の一番貧しいところとか遅れたところと、朝鮮の一番優れたところを比較して得意がっている
得意技は、日本の乞食と朝鮮の何十年も後の平民を比較すること、それでもどちらかというと、日本のほうが小奇麗。
全然進歩していないじゃないか。
また、突っ込まれて逃げ回らなければならなくなるぞ
イザベラ・バードは日本と朝鮮を旅して貴重な当時の風俗を精細に書残してくれた。昔の日本や朝鮮の風俗を知る上で、貴重な女性探検家と言ってもいいと思う。
ところで、エルグは得意がっているが、バードが日本と朝鮮を旅して回ったときの年代と場所を知っているか?
○ 日本探検旅行:1878(明治11)年6月〜9月、東北から北海道を旅行
○ 朝鮮探検旅行:1894(明治27)年1月〜1897(明治30)年3月、
朝鮮、中国(満洲・北京あたり)、ロシア(沿海部)を旅行
20年近くも開きがあるんだよ。
戊辰の奥州戦争でぼろぼろになった日本の東北地方を西南の役が済んだばかりの頃に旅したのだから、日本で最も貧しい時期の貧しいところを旅したといえる。
そんなところをほとんど予備知識もなしに旅行しているのに、概ね日本に好感を持って旅行記を書いている。
エルグが書いた村は栃木の山奥の村だが、それから15年も20年も後の日清戦争が始まる前の朝鮮の首都と比べてどうよ。
全然、問題にならないじゃないか。その他に書いてあることも書けよ。
日清戦争が始まって、バードが朝鮮(支那)から日本に避難してきたときのことを書こうか。
------------------------
「長崎」
戦時中であり、船が戦争にとられているうえ状況も不穏なため外洋交通は徹底的に乱れていた。大海戦が勃発するといううわさが飛ぶなかで、何週間かかけて汽船を探したが、ようやく見つかったのは、乗客ひとりだけならとしぶしぶ応じてくれたドイツの小型船しかなかった。
そして悪天候にもまれた船で快適とはほど遠い五日間をすごしたのち、ちょうど菊が満開の季節を迎え、まっ赤な紅葉の燃えるように美しい長崎で、わたしはそれまでとはがらりと変わった気持ちのいい一日を味わった。照明もあり、清潔で、完璧なまでに治安もよく、道路には穴ぼこもごみの山もない ― この矮人と人形のこぎれいな町は、清国のほとんどどの都市ででも外国人居留地の外に出さえすれば見られる、吐き気を催すような不潔さやみすぼらしさとは、胸のすく対照を示していた。
------------------------
朝鮮の大好きな宗主国様の清国と比べてもこんな感じ、まして朝鮮と日本とでは桁違い。
悪いことは言わないから、自分のところに帰りな。
―――――――――――――――――
run_run72 さん、遅くまでご苦労様
これは メッセージ 80424 (elgfare さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/80560.html