呉の太伯>稲のDNA研究によって>
投稿者: xyzhaya2gou 投稿日時: 2007/12/22 18:16 投稿番号: [79910 / 230347]
>越じゃないと思う。呉だと思う。
>まず、呉と越は戦争をよくやっていたが、、、、三国志時代の呉ではない、、、、史記の時代の紀元前の呉と越の時代、、、呉は国家自体が滅亡している。
>また、古事記の中には、一つシナの国が書かれていて、、それは、呉。 > 弥生人は周王朝の末裔である可能性が高い。 確か呉は海岸線の国で、越はその時代は呉の隣の、やや内陸の土地であったと思う。<
ご指摘のように、弥生人は呉人であったと考える方が自然のようですね。
(1)>古事記の中には、一つシナの国が書かれていて、、それは、呉。
たしかに、「呉」のようですね。
http://oparin.no-blog.jp/oparin/2006/05/22_2_b565.html
(2)弥生人が、「呉の太伯」の末裔と称したことが、
晋書以外にも、「『魏略逸文』や『梁書』東夷伝などに「自謂太伯之後」(自ら太伯の後と謂う」と記載されているようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/gishi/gimonfolda/gimonn08.htm#top
(3)>それは、呉。弥生人は周王朝の末裔である可能性が高い。
弥生人が呉人であれば、周王朝の末裔になりますね。
「太伯(たいはく)とは中国周族の古公亶父の長男で、呉の祖とされる人物。」ということですから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF
(4)おもしろいのが、「鳥越憲三郎がいます。鳥越は、倭人の特徴を「稲作と高床式住居」とし、新しい「倭人論」を展開しています。」
「日本列島の倭人とまったく同じ特徴を持つ倭人と呼ばれる集団が江南にも居住していたとの記述が散見されます。初出は、周代(紀元前11世紀〜同8世紀)のことを記した史書『論衡』。このことは、漢民族が日本列島人の身体的特徴から倭人(背が低い人)と呼ぶようになったというよりは、江南にいた「倭人」が日本列島に渡来したことにより、日本列島人も倭人と呼ばれるようになった、ということを示しています。」
「江南とよく似た気候(照葉樹林帯)の日本列島西部に到着しました。これが、弥生時代の幕開けとなったのでした。」
これなら、照葉樹文化である神社信仰ともつながりますね。
http://www.k3.dion.ne.jp/~hougen/essay/e2/2-1.htm
どうも、弥生人は呉人であったと考える方がよさそう(越というより呉)。
そして、呉人は周の末裔。−−>弥生人は周の末裔。
>まず、呉と越は戦争をよくやっていたが、、、、三国志時代の呉ではない、、、、史記の時代の紀元前の呉と越の時代、、、呉は国家自体が滅亡している。
>また、古事記の中には、一つシナの国が書かれていて、、それは、呉。 > 弥生人は周王朝の末裔である可能性が高い。 確か呉は海岸線の国で、越はその時代は呉の隣の、やや内陸の土地であったと思う。<
ご指摘のように、弥生人は呉人であったと考える方が自然のようですね。
(1)>古事記の中には、一つシナの国が書かれていて、、それは、呉。
たしかに、「呉」のようですね。
http://oparin.no-blog.jp/oparin/2006/05/22_2_b565.html
(2)弥生人が、「呉の太伯」の末裔と称したことが、
晋書以外にも、「『魏略逸文』や『梁書』東夷伝などに「自謂太伯之後」(自ら太伯の後と謂う」と記載されているようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/gishi/gimonfolda/gimonn08.htm#top
(3)>それは、呉。弥生人は周王朝の末裔である可能性が高い。
弥生人が呉人であれば、周王朝の末裔になりますね。
「太伯(たいはく)とは中国周族の古公亶父の長男で、呉の祖とされる人物。」ということですから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF
(4)おもしろいのが、「鳥越憲三郎がいます。鳥越は、倭人の特徴を「稲作と高床式住居」とし、新しい「倭人論」を展開しています。」
「日本列島の倭人とまったく同じ特徴を持つ倭人と呼ばれる集団が江南にも居住していたとの記述が散見されます。初出は、周代(紀元前11世紀〜同8世紀)のことを記した史書『論衡』。このことは、漢民族が日本列島人の身体的特徴から倭人(背が低い人)と呼ぶようになったというよりは、江南にいた「倭人」が日本列島に渡来したことにより、日本列島人も倭人と呼ばれるようになった、ということを示しています。」
「江南とよく似た気候(照葉樹林帯)の日本列島西部に到着しました。これが、弥生時代の幕開けとなったのでした。」
これなら、照葉樹文化である神社信仰ともつながりますね。
http://www.k3.dion.ne.jp/~hougen/essay/e2/2-1.htm
どうも、弥生人は呉人であったと考える方がよさそう(越というより呉)。
そして、呉人は周の末裔。−−>弥生人は周の末裔。
これは メッセージ 79282 (omron13131313 さん)への返信です.
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