このアホめが
投稿者: great_daehan_minguk 投稿日時: 2007/12/22 17:13 投稿番号: [79888 / 230347]
ただ彫るだけ?
このアホめが!
高度な鋳造技術も必要なんだよ。
勉強になったな、アホめ。
(抜粋)金属活字が初めて作られたのは、高麗時代の朝鮮半島でのことであった。記録では、12世紀にできた『詳定礼文』という書物の一部を金属活字で作ったということが、現存する跋文に記されているのが最古である。これによれば、世界最古の金属活字の鋳造は、モンゴル軍の侵入で高麗王朝が江鼻島に遷都した1232年ごろのこととなり、グーテンベルクより200年以上も前のこととなる。しかしこのことは、肝心の『詳定礼文』の原本が失われているため、まだ裏付けられてはいない。しかし、その後の1377年に金属活字で印刷された仏教書直指心体要節の原本(下巻のみ)が、1972年にフランス国立図書館で見つかり、グーテンベルクより少なくとも73年前に高麗で金属活字による印刷が行われたことが裏付けられるにいたった。
八万大蔵経の版木は、今も慶尚北道の海印寺に保存されている。室町幕府は、版木を求める使節を何度も朝鮮に送っている。
高麗は、それ以前から高い印刷技術を持っていた。そのことを端的に物語るのが、有名な八万大蔵経である。大蔵経とは仏教の経典の全集のことであり、仏教圏ではあちこちで編纂が行われたが、高麗で編纂された大蔵経は、表裏にそれぞれ644字(14×23行)の漢字が刻まれた約86600枚もの版木に刻まれていたため、八万大蔵経と呼ばれている。これだけの版木が、1236年から16年間をかけて作られた。強大なモンゴルの脅威にさらされていた高麗は、仏の力でモンゴルの退散を図ったのである。版木はたぶの木を数年間海水につけ、塩水で蒸して樹脂を取り除いたのち、数年間陰干しにして湿気を除くという丁寧な作業を経てつくられた。もちろん印刷は版木だけではできない。高麗は紙や墨の技術にも優れ、大量の紙や墨が宋に輸出されていたことが記録に残っている。金属活字の場合は、高度の鋳造技術も必要である。
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これは メッセージ 79881 (run_run72 さん)への返信です.
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