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正しい歴史を学べば乱れない

投稿者: midnight_express001 投稿日時: 2007/12/20 19:25 投稿番号: [79620 / 230347]
朝貢国の優等生になった朝鮮
丙子胡乱ビョンジャホラン(1637年)の際に、清国軍十万の
侵略を受けて降伏した朝鮮は、以下の三点を盟約させられている。

1. 朝鮮は公文書に清の年号を用いること
2. 王位継承に置いて、柵封を受けること
3. 一年4貢を受領すること

このような事実を韓国の教科書は全く書いていない。
「丙子胡乱」については、次のように書いているだけである。
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後金は勢力を強め、国の名称を清とかえ、朝鮮王朝に対して
君臣の礼を要求して再び侵入し、漢陽(ハニヤン)を占領した。
そのため仁祖(インジョ)は臣下とともに南漢山城に移り、
四十五日間抗戦したが、遂に清の要求を受け入れて講話を結んだ。
この戦争を丙子胡乱という(1936)
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実際には、右の講和の結果、1637年から1881年までの
244年間に、清から朝鮮への勅使派遣は161回に及び、
朝鮮から清への朝貢使は500回以上にも及んでいた。
清の勅使を迎えるたびごとに、朝鮮国王は漢城郊外の迎恩門に至り、
土下座して恭しく勅使を迎えた後、慕華館で勅使の接待をする事を
余儀なくされていた。毎年4回とされた朝貢は、1644年以降は
毎年一回に減らされたが、それでもこれは他の朝貢国に比べると
並はずれて多い。
琉球は2年に一回、
タイは3年に一回、
ベトナムは4年に一回
ビルマやラオスは10年に一回であった
朝鮮こそ最も中国に忠実な、朝貢国の優等生だったのである。
また一般的には朝貢外交は朝貢国にとって、経済的・文化的実利を
もたらすものであるが、朝鮮の場合はそうではなかった。
中国との事大外交に伴う経済的負担は、宗主国よりも朝鮮側の方が
大きかったのである。
1694年に宗主国・清の康煕帝が粛宗にした事、たとえば朝鮮の
粛宗(スクチョン)が1694年、宗主国の康煕帝に奉呈した貢文に、
康煕帝の気に入らない言葉が一つあっただけで、礼部(文部省)から
朝鮮国王に対してし、罰金銀一万両、皇帝の年貢に対する回賜(見返り
の贈り物)3年間停止の処分を受けている。
もちろん、康煕帝は、貨幣の鋳造権も、食糧、兵士提供の要求権も
朝鮮国王から回収した。
さらに丙子胡乱後、宗主国・清に実に50万人の女性を献上した。
朝鮮人は、このような史実が業苦となって、過去の追軍売春婦や、
今日の海外渡航売春が止められないのだと思う。
悲しい性(さが)というべきか。
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