Re: 日本は、模造文化
投稿者: minaminosima07 投稿日時: 2007/12/13 21:45 投稿番号: [78934 / 230347]
>韓国から伝わった剣術が日本内の戦乱過程を経るとともに発展し、のちにスポーツとして体系化されて逆に我が国に入ってきたのである。
日本剣道連盟のHP抜粋です
剣道の歴史を遡るとき、欠くことのできない基本的な段階がいくつかある。
その源は日本刀の出現である。
彎刀で鎬(しのぎ)造りの刀は日本独特で、平安時代(794〜1185)の中頃に出現した。その原形は日本列島東北地方に住み騎馬戦を得意としていた部族が平安初期には既に使っていたと思われる。以来、武士集団に使われ、日本最初の武士政権,鎌倉幕府末期に製作技術は飛躍的に進歩した。「鎬をけずる」といわれる剣の技は、日本刀とともに日本に生まれたものであると言っても過言ではない。
室町幕府(1392〜1573)の後半、応仁の乱が始まってから約100年間、天下は乱れた。この頃に剣術の各流派が相次いで成立している
新たな基軸をうちだしたのが直心影流の長沼四郎左衛門国郷である。長沼は正徳年間(1711〜1715)に剣道具(防具)を開発し、竹刀で打突し合う「打込み稽古法」を確立した。これが今日の剣道の直接的な源(みなもと)である。その後、宝暦年間(1751〜1764)に一刀流の中西忠蔵子武が鉄面をつけ、竹具足式の剣道具(防具)を用いて打込み稽古法を採用すると、またたく間に多くの流派に波及した。
大正元年(1912)には剣道と言う言葉が使われた「大日本帝国剣道形(のち「日本剣道形」となる)」が制定された。流派を統合することにより日本刀による技と心を後世に継承すると共に、竹刀打ち剣道の普及による手の内の乱れや、刃筋を無視した打突を正した。竹刀はあくまでも日本刀の替りであるという考え方が生まれ、大正8年、西久保弘道は武本来の目的に適合した武道および剣道に名称を統一した。
これは メッセージ 78910 (kim_taek_joo さん)への返信です.
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