[竹島]は誰も認める日本の領土
投稿者: midnight_express001 投稿日時: 2007/12/13 20:46 投稿番号: [78928 / 230347]
竹島の領有権に関するわが国の一貫した立場
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに
我が国固有の領土です。
2. 韓国による竹島の不法占拠は、国際法上何ら根拠がないまま
行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に
基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を
有するものではありません。
※ 韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を
確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを
示す明確な 根拠は提示されていません。
竹島の認知
【日本における竹島の認知】
1.概説
現在の竹島は、かつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が
「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。この後、
ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより
島名が混乱することになりますが、1880(明治13)年、
日本政府は鬱陵島の現地調査を行って島名の整合性を確認
するとともに、1905年に「松島」(現在の竹島)を島根県に
編入する際、その混乱を防ぐ観点から、現在の竹島を「竹島」と
正式に命名しました。竹島や鬱陵島の名称については、一時的な
混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を
古くから承知していたことは各種の文献からも確認できます。
2.ヨーロッパ探検家等による測位の誤り
(1)1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島に至り、
これを「ダジュレー(Dagelet)島」と命名しました。続いて、
1789年には、イギリスの探検家コルネットも鬱陵島を発見
しましたが、彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と
名付けました。しかし、ラ・ペルーズとコルネットが測定した
鬱陵島の経緯度にはズレがあったことから、その後に
ヨーロッパで作成された地図には、鬱陵島があたかも別の2島で
あるかのように記載されることとなりました。
(2)1840年、長崎出島の医師シーボルトは「日本図」を作成しました。
彼は、隠岐島と朝鮮半島の間には西から「竹島」(現在の
鬱陵島)、「松島」(現在の竹島)という2つの島があることを
日本の諸文献や地図により知っていました。
その一方、ヨーロッパの地図には、西から「アルゴノート島」
「ダジュレー島」という2つの名称が並んでいることも知って
いました。このため、彼の地図では「アルゴノート島」が
「タカシマ」、「ダジュレー島」が「マツシマ」と記載される
ことになりました。これにより、それまで一貫して「竹島」又は
「磯竹島」と呼ばれてきた鬱陵島が、「松島」とも呼ばれる混乱を
招くこととなりました。
(3)このように、我が国内では、古来の「竹島」、「松島」に関する
知識と、その後に欧米から伝えられた島名が混在していましたが、
その最中に「松島」を望見したとする日本人が、同島の開拓を
政府に願い出ました。政府は、島名の関係を明らかにするため
1880(明治13)年に現地調査を行い、同請願で「松島」と称されて
いる島が鬱陵島であることを確認しました。
(4)以上の経緯をふまえ、鬱陵島は「松島」と称されることとなったため、
現在の竹島の名称をいかにするかが問題となりました。
このため、政府は島根県の意見も聴取しつつ、1905(明治38)年、
これまでの名称を入れ替える形で現在の竹島を正式に「竹島」と
命名しました。
以下省略、詳しくはhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに
我が国固有の領土です。
2. 韓国による竹島の不法占拠は、国際法上何ら根拠がないまま
行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に
基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を
有するものではありません。
※ 韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を
確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを
示す明確な 根拠は提示されていません。
竹島の認知
【日本における竹島の認知】
1.概説
現在の竹島は、かつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が
「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。この後、
ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより
島名が混乱することになりますが、1880(明治13)年、
日本政府は鬱陵島の現地調査を行って島名の整合性を確認
するとともに、1905年に「松島」(現在の竹島)を島根県に
編入する際、その混乱を防ぐ観点から、現在の竹島を「竹島」と
正式に命名しました。竹島や鬱陵島の名称については、一時的な
混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を
古くから承知していたことは各種の文献からも確認できます。
2.ヨーロッパ探検家等による測位の誤り
(1)1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島に至り、
これを「ダジュレー(Dagelet)島」と命名しました。続いて、
1789年には、イギリスの探検家コルネットも鬱陵島を発見
しましたが、彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と
名付けました。しかし、ラ・ペルーズとコルネットが測定した
鬱陵島の経緯度にはズレがあったことから、その後に
ヨーロッパで作成された地図には、鬱陵島があたかも別の2島で
あるかのように記載されることとなりました。
(2)1840年、長崎出島の医師シーボルトは「日本図」を作成しました。
彼は、隠岐島と朝鮮半島の間には西から「竹島」(現在の
鬱陵島)、「松島」(現在の竹島)という2つの島があることを
日本の諸文献や地図により知っていました。
その一方、ヨーロッパの地図には、西から「アルゴノート島」
「ダジュレー島」という2つの名称が並んでいることも知って
いました。このため、彼の地図では「アルゴノート島」が
「タカシマ」、「ダジュレー島」が「マツシマ」と記載される
ことになりました。これにより、それまで一貫して「竹島」又は
「磯竹島」と呼ばれてきた鬱陵島が、「松島」とも呼ばれる混乱を
招くこととなりました。
(3)このように、我が国内では、古来の「竹島」、「松島」に関する
知識と、その後に欧米から伝えられた島名が混在していましたが、
その最中に「松島」を望見したとする日本人が、同島の開拓を
政府に願い出ました。政府は、島名の関係を明らかにするため
1880(明治13)年に現地調査を行い、同請願で「松島」と称されて
いる島が鬱陵島であることを確認しました。
(4)以上の経緯をふまえ、鬱陵島は「松島」と称されることとなったため、
現在の竹島の名称をいかにするかが問題となりました。
このため、政府は島根県の意見も聴取しつつ、1905(明治38)年、
これまでの名称を入れ替える形で現在の竹島を正式に「竹島」と
命名しました。
以下省略、詳しくはhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html
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