独島の領有権は、わが国にあり
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2007/12/10 18:32 投稿番号: [78678 / 230347]
日本が朝鮮の独島領有権を認めた決定的な資料は、「竹島とその他の1島」、すなわち鬱陵島と独島の朝鮮領有を認めた1696年1月の幕府決定と1877年3月の太政官(最高政府機関)の指令文書である。
1877年に日本内務省は全国的な地籍調査に関連して島根県で提起された「竹島とその他の1島」について5カ月間検討し、その結果を太政官に報告した。
太政大臣代理の岩倉具視はこれに基づいて3月20日、「竹島(鬱陵島)とその他の1島(松島、独島)は本邦(日本)と関係のないものに知るべき」という指令文を作成して内務省と島根県に下達した。
このように独島は、日本の歴代政府が数回にわたって朝鮮領有権を公式に認めた朝鮮固有の領土であったし、日本は当時まで国際的に朝鮮の独島領有権を公式に認めた最初の国家であった。
1905年2月のいわゆる独島の「島根県編入」は、全的に日帝の朝鮮占領政策による詐欺、謀略の所産であった。
1905年1月28日、強盗さながらの日本内閣の決定に従って島根県庁は2月22日付になった「島根県告示」第40号というものをつくり上げて「北緯37度9分30秒、東経131度55分、隠岐島から西北85マイルにある島嶼を竹島であると称し、今日から本県所属隠岐島司の所管と定めた」と「公布」した。
「島根県告示」第40号は、告示の手順と通知方法において詐欺と欺まんで一貫している偽りの文書である。
日本は「独島編入」に関連しては隣接国である李朝政府は言うまでもなく、どの国とも事前の協議はおろか、事後通報もしなかったし、告示自体も単なる地方官報である県報に掲載し、地方新聞である「山陰新聞」に小さく報じただけである。
狡猾な日本は、「島根県編入」の1年後である1906年3月28日、すなわち「乙巳5条約」をねつ造して朝鮮を植民地化してから4カ月が過ぎた後、独島強奪についてどの国も抗弁していない時期を選んで地方官吏である隠岐島司一行を送って独島を視察させ、帰り道に鬱陵郡守の沈興沢に「独島が日本領地になったので、視察のため島に来た」ことを知らせた。
これについて李朝政府が日本政府に公式に抗議できなかったのは、日本に外交権を奪われたからであり、列強が異論を提起できなかったのも日本の独島編入について全く知らなかったためである。
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