Re: 敗北の日本
投稿者: rie2376 投稿日時: 2007/12/10 16:33 投稿番号: [78649 / 230347]
喚くな朝鮮人、日本で土地を買った
韓国旗を建てるなよ、値段がぐっと
下がるぞ、土地まで臭くなる
イギリスの旅行家、イザベラ・バードが
日本を旅行した後、1894年始めて
ソウルを訪れ朝鮮紀行の中で、次のように
述べている
北京を見るまで私は、ソウルこそこの世で
一番不潔な町だと思っていたし
紹興へ行くまでは、ソウルの悪臭こそ
この世で一番ひどい臭いだと考えていた
都会であり首都であるにしては、その
お粗末さは実に形容しがたい
溝に隣接する家屋は一般に軒の深い
藁葺きのあばら屋で、通りからは泥壁にしか
見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙をはった
小さな窓があって人間の住まいだと言う
ことが分かる
又溝から2,3フィートの高さに黒ずんだ
煙穴がきまってあり、これは家の中を暖める
と言う役目を果たした煙と熱風の吐き出し
口がある
瓦屋根の反り返った上流階級の家屋でも
通りから見た体裁の悪さと言う点では
なんら変わりがない
商店も概してみすぼらしいのは同じである
在庫品全部買っても6ドル程度の店が沢山ある
店には文字通り、記すに値するような
特徴がない、何も特徴がないのが特徴である
その他にある安価な灯油ランプ、手鏡、安物
臭い花瓶などといった外国製の不要品から
一番くだらない物ばかり選んできたような
品々は、どれをとっても悪趣味の極みとしか
言いようがない
道もともかく悪い。人工の道は少なく
あっても夏には土埃が厚くて冬にはぬかるみ
ならしてない場合は、でこぼこの地面と
突き出た岩の上をわだちが通っている
道と言っても、獣や人間の通行でどうやら
識別可能な程度についた通路に過ぎない
橋のかかっていない川も多く、橋の大半は
通行部分が木の小枝と芝土だけで出来ており
7月始めの雨で流されてしまう
首都に中心をおく6大道路ですら、橋は普通
渡る前にまず馬や人間の重量に耐えられるか
どうかを馬夫が確かめるほど、もろい状態で
あることが多い
山間部では、道とはおおかたが渓流の河床に
丸石をばらまいたもの以外の何者でもなく
最良の場合でも冬場のソウル・済物浦間のように
ぬかるみの深さが1フィートから3フィートに
及ぶ湿地帯がある
こういったいまわしい乗馬道は、私も廣く
たどったが朝鮮の発展の大きな障害の一つである
その内最悪なのは、ソウルから元山に至る
幹線道路の山間部分で〜
彼女は又、これ以前日光を訪れた時の感想を
日本奥地紀行で、こう記している
今市は二つのりっぱな街道の合する所で
長い坂道になっている町である
そこでは、山の澄んだ水流が石造の水路に
囲われ、切って作った石板が渡してあり
町の真ん中を流れていた
水流の上に建てられ、街路をずうっと
見晴らすことができる家の部屋には二人の
警官が坐って書きものをしていた
町にはあまり人馬も通らず、退屈な所のように
見える、あたかも下方の並木道と上方の神社の
堂々たる姿に、圧倒されたかのようであった。
人々は、外に出てきて外国人をじっと見つめる
外国人を見るのは、珍しいことだと思って
いるようである
実は一八七〇年サー・ハリー・パークス夫妻は
外国人として初めて日光を訪れることを許可され
皇室の本坊に宿泊したのであった
それは人形の町である。低くて小さな家には
りっぱな畳が敷いてあり、すばらしく清潔で
凝りすぎるほどきちんとしており、軽くて
きゃしゃなものだから、靴を脱いで家の中に
入ったのだが
「陶器店に入った牡牛」(はた迷惑の乱暴者)の
ような気持ちであった、私の身体の重みだけで
すべてが壊れてなくなってしまうのではないか
と思った
街路はひどく清潔になっているので、応接間の
絨毯を、泥靴で踏みたくないと同じように
この通りを、泥靴で歩きたいとは思わぬであろう
そこには、山の静かな雰囲気が漂っている
これが西洋の旅行者が見た、正直な感想
韓国旗を建てるなよ、値段がぐっと
下がるぞ、土地まで臭くなる
イギリスの旅行家、イザベラ・バードが
日本を旅行した後、1894年始めて
ソウルを訪れ朝鮮紀行の中で、次のように
述べている
北京を見るまで私は、ソウルこそこの世で
一番不潔な町だと思っていたし
紹興へ行くまでは、ソウルの悪臭こそ
この世で一番ひどい臭いだと考えていた
都会であり首都であるにしては、その
お粗末さは実に形容しがたい
溝に隣接する家屋は一般に軒の深い
藁葺きのあばら屋で、通りからは泥壁にしか
見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙をはった
小さな窓があって人間の住まいだと言う
ことが分かる
又溝から2,3フィートの高さに黒ずんだ
煙穴がきまってあり、これは家の中を暖める
と言う役目を果たした煙と熱風の吐き出し
口がある
瓦屋根の反り返った上流階級の家屋でも
通りから見た体裁の悪さと言う点では
なんら変わりがない
商店も概してみすぼらしいのは同じである
在庫品全部買っても6ドル程度の店が沢山ある
店には文字通り、記すに値するような
特徴がない、何も特徴がないのが特徴である
その他にある安価な灯油ランプ、手鏡、安物
臭い花瓶などといった外国製の不要品から
一番くだらない物ばかり選んできたような
品々は、どれをとっても悪趣味の極みとしか
言いようがない
道もともかく悪い。人工の道は少なく
あっても夏には土埃が厚くて冬にはぬかるみ
ならしてない場合は、でこぼこの地面と
突き出た岩の上をわだちが通っている
道と言っても、獣や人間の通行でどうやら
識別可能な程度についた通路に過ぎない
橋のかかっていない川も多く、橋の大半は
通行部分が木の小枝と芝土だけで出来ており
7月始めの雨で流されてしまう
首都に中心をおく6大道路ですら、橋は普通
渡る前にまず馬や人間の重量に耐えられるか
どうかを馬夫が確かめるほど、もろい状態で
あることが多い
山間部では、道とはおおかたが渓流の河床に
丸石をばらまいたもの以外の何者でもなく
最良の場合でも冬場のソウル・済物浦間のように
ぬかるみの深さが1フィートから3フィートに
及ぶ湿地帯がある
こういったいまわしい乗馬道は、私も廣く
たどったが朝鮮の発展の大きな障害の一つである
その内最悪なのは、ソウルから元山に至る
幹線道路の山間部分で〜
彼女は又、これ以前日光を訪れた時の感想を
日本奥地紀行で、こう記している
今市は二つのりっぱな街道の合する所で
長い坂道になっている町である
そこでは、山の澄んだ水流が石造の水路に
囲われ、切って作った石板が渡してあり
町の真ん中を流れていた
水流の上に建てられ、街路をずうっと
見晴らすことができる家の部屋には二人の
警官が坐って書きものをしていた
町にはあまり人馬も通らず、退屈な所のように
見える、あたかも下方の並木道と上方の神社の
堂々たる姿に、圧倒されたかのようであった。
人々は、外に出てきて外国人をじっと見つめる
外国人を見るのは、珍しいことだと思って
いるようである
実は一八七〇年サー・ハリー・パークス夫妻は
外国人として初めて日光を訪れることを許可され
皇室の本坊に宿泊したのであった
それは人形の町である。低くて小さな家には
りっぱな畳が敷いてあり、すばらしく清潔で
凝りすぎるほどきちんとしており、軽くて
きゃしゃなものだから、靴を脱いで家の中に
入ったのだが
「陶器店に入った牡牛」(はた迷惑の乱暴者)の
ような気持ちであった、私の身体の重みだけで
すべてが壊れてなくなってしまうのではないか
と思った
街路はひどく清潔になっているので、応接間の
絨毯を、泥靴で踏みたくないと同じように
この通りを、泥靴で歩きたいとは思わぬであろう
そこには、山の静かな雰囲気が漂っている
これが西洋の旅行者が見た、正直な感想
これは メッセージ 78644 (chokubarimalsal さん)への返信です.
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