日本人が「ボクシング韓国王座」まで獲得
投稿者: fvnii 投稿日時: 2007/12/07 14:03 投稿番号: [78285 / 230347]
日本人のボクシング選手やプロレス選手、キックボクサーは、日本人らしくて、アメリカ、メキシコ、タイ、ヨーロッパ、ちょっとでもチャンスありと見れば、どこでも物怖じせずに一人でどんどん出かけて行く。
ムエタイですら、日本人はチャンピオンを出しているくらいで、日本人に対して、伝統的に韓国人は格闘技絶弱、ボクシングは遂に、ここ十年、対韓国では、日本人が37戦36勝。
もう、論外の弱さで、韓国王座も、遅かれ早かれ、日本人かメキシコ人が持っていくと言われていたが。
韓国人が狙える代表的なスーパーフライ級を、挑戦一人目の日本人選手があっさり奪取。
>ボクシング:日本人が初の韓国王者に
韓国スーパーフライ級チャンピオン木村隼人
プロボクシング韓国スーパーフライ級王座決定戦が6日午後、江原道横城郡にある横城室内体育館で行われた。
10ラウンドの熱戦の末、チャンピオンに輝いたのは、意外にも木村隼人(18)という日本人ボクサーだった。韓国プロボクシング史上初の日本人王者の誕生だ。観客こそ少なめだったが、会場のあちこちで日本人選手が韓国王者になったことに対し、驚く姿が見受けられた。この日の試合で同級3位の木村隼人は、素早い動きと巧みなコンビネーションから角度のあるアッパーを繰り出し、同級2位の孫京辰(ソン・ギョンジン)=26=に判定勝ちを収めた。これまでの通算成績は8戦8勝(4KO)。そもそも日本人の木村が韓国王者にまで勝ち進むことができたのは、木村の所属ジムが韓国のビックスター・ボクシング体育館であるとともに、今年に入って韓国拳闘委員会(KBO)の選手資格証を取得したためだ。
木村隼人は中学卒業後、すぐにタイでプロボクサーとしての人生を歩み始めた。日本では17歳にならなければプロになれないという規定があるのを知り、未練なく荷物をまとめたという。タイで4戦4勝の成績を収めた木村は昨年、ビックスター体育館のユ・ヨンス館長と知り合うようになり、韓国へと活動舞台を移すことになった。木村がボクシング人生の第一歩を踏み出した横浜さくらボクシングジムに、ユ館長がトレーナーとして所属していたのがそもそものきっかけとなったのだ。また、ユ館長の姓を取り、木村は「ユ・ジュニン」という韓国名も持っている。
ユ官長は木村について、「素質がある上、トレーニングに没頭するタイプだから、世界チャンピオンになれる可能性が高い」と期待を示す。木村は韓国と日本を行き交う生活を送っている。日本では午前中にトレーニングを積み、午後はバイトでチラシ配りをしたりするという。人気のないボクサーが貧乏を強いられるのは、韓国でも日本でも変わらないようだ。今回の国内タイトルマッチの対戦料もわずか100万ウォン(約12万円)にすぎなかった。
しかし、「お金のためにボクシングをするわけではないですから」と木村は言う。それでは、ボクシングを続けている理由は何なのか。その答えは、木村を幼いころから指導し、この日も試合会場を訪れた横浜さくらボクシングジムの平野敏夫会長が話してくれた。「ボクシングは、一生懸命に努力した選手が二つのこぶしだけで対戦する真摯(しんし)なスポーツです。日本で多くの韓流スターが人気を集めているように、木村が韓国で多くのファンから愛されるようになることを祈っています」
木村は「アンニョンハセヨ」「カムサハムニダ」など片言交じりの韓国語しか話せなかったが、好きな韓国で夢をつかむことに執念を燃やしていた。「コリアンドリーム」のスタートラインに立った若き日本人ボクサーの一番好きな食べ物は、ビビンバだという。
http://www.chosunonline.com/article/20071207000043
ムエタイですら、日本人はチャンピオンを出しているくらいで、日本人に対して、伝統的に韓国人は格闘技絶弱、ボクシングは遂に、ここ十年、対韓国では、日本人が37戦36勝。
もう、論外の弱さで、韓国王座も、遅かれ早かれ、日本人かメキシコ人が持っていくと言われていたが。
韓国人が狙える代表的なスーパーフライ級を、挑戦一人目の日本人選手があっさり奪取。
>ボクシング:日本人が初の韓国王者に
韓国スーパーフライ級チャンピオン木村隼人
プロボクシング韓国スーパーフライ級王座決定戦が6日午後、江原道横城郡にある横城室内体育館で行われた。
10ラウンドの熱戦の末、チャンピオンに輝いたのは、意外にも木村隼人(18)という日本人ボクサーだった。韓国プロボクシング史上初の日本人王者の誕生だ。観客こそ少なめだったが、会場のあちこちで日本人選手が韓国王者になったことに対し、驚く姿が見受けられた。この日の試合で同級3位の木村隼人は、素早い動きと巧みなコンビネーションから角度のあるアッパーを繰り出し、同級2位の孫京辰(ソン・ギョンジン)=26=に判定勝ちを収めた。これまでの通算成績は8戦8勝(4KO)。そもそも日本人の木村が韓国王者にまで勝ち進むことができたのは、木村の所属ジムが韓国のビックスター・ボクシング体育館であるとともに、今年に入って韓国拳闘委員会(KBO)の選手資格証を取得したためだ。
木村隼人は中学卒業後、すぐにタイでプロボクサーとしての人生を歩み始めた。日本では17歳にならなければプロになれないという規定があるのを知り、未練なく荷物をまとめたという。タイで4戦4勝の成績を収めた木村は昨年、ビックスター体育館のユ・ヨンス館長と知り合うようになり、韓国へと活動舞台を移すことになった。木村がボクシング人生の第一歩を踏み出した横浜さくらボクシングジムに、ユ館長がトレーナーとして所属していたのがそもそものきっかけとなったのだ。また、ユ館長の姓を取り、木村は「ユ・ジュニン」という韓国名も持っている。
ユ官長は木村について、「素質がある上、トレーニングに没頭するタイプだから、世界チャンピオンになれる可能性が高い」と期待を示す。木村は韓国と日本を行き交う生活を送っている。日本では午前中にトレーニングを積み、午後はバイトでチラシ配りをしたりするという。人気のないボクサーが貧乏を強いられるのは、韓国でも日本でも変わらないようだ。今回の国内タイトルマッチの対戦料もわずか100万ウォン(約12万円)にすぎなかった。
しかし、「お金のためにボクシングをするわけではないですから」と木村は言う。それでは、ボクシングを続けている理由は何なのか。その答えは、木村を幼いころから指導し、この日も試合会場を訪れた横浜さくらボクシングジムの平野敏夫会長が話してくれた。「ボクシングは、一生懸命に努力した選手が二つのこぶしだけで対戦する真摯(しんし)なスポーツです。日本で多くの韓流スターが人気を集めているように、木村が韓国で多くのファンから愛されるようになることを祈っています」
木村は「アンニョンハセヨ」「カムサハムニダ」など片言交じりの韓国語しか話せなかったが、好きな韓国で夢をつかむことに執念を燃やしていた。「コリアンドリーム」のスタートラインに立った若き日本人ボクサーの一番好きな食べ物は、ビビンバだという。
http://www.chosunonline.com/article/20071207000043
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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