happyskay200さんへ(知識の転倒)
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/08/17 12:02 投稿番号: [780 / 230347]
happyskay200さん、レスありがとうございます。
私が日韓問題に関して「知ることの重要性」を強調するのは、自分の経験に基づいての
考えです。昔の私は、人並み以上に日韓問題について知っているくらいの事を考えており
ましたが、知れば知るほど自分の持っていた知識の浅さを痛感するような事実が見えてき
ました。そして知識がつくにつれて、日韓問題に対する認識も大きく変化していきました。
こと日韓問題に限っての話をいたしますが、「通常の日本人の常識」も「通常の韓国人
の常識」も、ともに大きく隔たり、さらには歴史的事実からも外れております。こういっ
た知識の転倒状況があるときには、愚直に知識を得ようとする努力が最も大切だと考えます…
さて、あなたはレスの中で下の問を投げかけられました
>貴方はその謝罪に関して、どこまで正確に歴史を知っていなければ謝罪ができない、とお考えですか?
「通常の常識」が歴史的事実と離れている場合には、せめて大体のところの事実を掴む
までは、あなたのおっしゃる「真からの後悔の念」は決してでないと思います。どこまで
というのを数量化した問とはとりませんが、せめて教科書レベルでの(つまりは全国民が
習得可能な知識レベルで)正しい歴史についての知識は必要です。それで初めて謝罪が可
能になるというの考えは引く気もありません。
>では、一般大衆は謝罪する資格?もないし語る資格もないとお考えなのですか?
冷静に考えてください。上の質問と下の質問は別のものでしょう? わかりませんか?
私は決して「一般大衆」が一番偉いという意見に組するものではありません。大体「一般
大衆」というようなイデオロギッシュな言葉はもともと嫌いです。
それでもお答えするとすれば、以下のように言いたいと思います。
普通の人が謝罪するしないはその人の判断にまかされます。ですが、何も全員が「国家」
を背負った謝罪をするというのは必要ないと思います。また普通の人が何について語ろうが
それはもちろん自由です。しかし誤った知識、誤った認識の下での「謝罪」や「言説」は、
普通の人がやろうが、学者がやろうが、政治家がやろうが、誰がやろうが間違ったものに
なると考えるのが当然です。
普通の人は、むしろ自分に密着した経験を語り、自分に関係のあることを謝ればいいので
あって、通常それ以上は期待されていないし、それこそ健全なあり方かと思います。
>酷い事をしてしまった、という良心の呵責を感じている人はたくさんいると思いますので、
>貴方が例え感じていなくても、感じられる人の存在に気づくべきでしょう。その辺は貴方が
>前述した、偏見なのではないでしょうか?
違います。繰り返しますが、何故「何をやったかの正しい認識」無しに「酷い事をしてしま
った、という良心の呵責」が感じられるのですか? 誤った認識に基づく感情は、それがどん
なにたちの良いものでも誤りです。これのどこが偏見なのですか?
良心の呵責を感じる人が「良い人」だと単純に言えるものではないでしょう?まあ「良い人」
ならば良心の呵責を感じることを期待できるとは思いますが…。私はむしろ間違った「良心の
呵責」に悩む人は救って差し上げたいものだと常々思っております。
>>まず何より、事実何があったかを知らないのに、「真からの後悔の念」が出てくるはずがありません。
>普通程度の知識では、出てくるはずがないと言う決め付けは、完全に貴方の偏見だ、と思います。
>大変失礼な言い方になるかもしれませんが、もしかして貴方はあまり想像力のないほうではありま
>せんか?
とんでもありません。(普通これだけ無礼な事を言われて怒らない方がどうかしているかと
思いますが、せっかくですから続けます。長いので稿を変えさせていただきます)
私が日韓問題に関して「知ることの重要性」を強調するのは、自分の経験に基づいての
考えです。昔の私は、人並み以上に日韓問題について知っているくらいの事を考えており
ましたが、知れば知るほど自分の持っていた知識の浅さを痛感するような事実が見えてき
ました。そして知識がつくにつれて、日韓問題に対する認識も大きく変化していきました。
こと日韓問題に限っての話をいたしますが、「通常の日本人の常識」も「通常の韓国人
の常識」も、ともに大きく隔たり、さらには歴史的事実からも外れております。こういっ
た知識の転倒状況があるときには、愚直に知識を得ようとする努力が最も大切だと考えます…
さて、あなたはレスの中で下の問を投げかけられました
>貴方はその謝罪に関して、どこまで正確に歴史を知っていなければ謝罪ができない、とお考えですか?
「通常の常識」が歴史的事実と離れている場合には、せめて大体のところの事実を掴む
までは、あなたのおっしゃる「真からの後悔の念」は決してでないと思います。どこまで
というのを数量化した問とはとりませんが、せめて教科書レベルでの(つまりは全国民が
習得可能な知識レベルで)正しい歴史についての知識は必要です。それで初めて謝罪が可
能になるというの考えは引く気もありません。
>では、一般大衆は謝罪する資格?もないし語る資格もないとお考えなのですか?
冷静に考えてください。上の質問と下の質問は別のものでしょう? わかりませんか?
私は決して「一般大衆」が一番偉いという意見に組するものではありません。大体「一般
大衆」というようなイデオロギッシュな言葉はもともと嫌いです。
それでもお答えするとすれば、以下のように言いたいと思います。
普通の人が謝罪するしないはその人の判断にまかされます。ですが、何も全員が「国家」
を背負った謝罪をするというのは必要ないと思います。また普通の人が何について語ろうが
それはもちろん自由です。しかし誤った知識、誤った認識の下での「謝罪」や「言説」は、
普通の人がやろうが、学者がやろうが、政治家がやろうが、誰がやろうが間違ったものに
なると考えるのが当然です。
普通の人は、むしろ自分に密着した経験を語り、自分に関係のあることを謝ればいいので
あって、通常それ以上は期待されていないし、それこそ健全なあり方かと思います。
>酷い事をしてしまった、という良心の呵責を感じている人はたくさんいると思いますので、
>貴方が例え感じていなくても、感じられる人の存在に気づくべきでしょう。その辺は貴方が
>前述した、偏見なのではないでしょうか?
違います。繰り返しますが、何故「何をやったかの正しい認識」無しに「酷い事をしてしま
った、という良心の呵責」が感じられるのですか? 誤った認識に基づく感情は、それがどん
なにたちの良いものでも誤りです。これのどこが偏見なのですか?
良心の呵責を感じる人が「良い人」だと単純に言えるものではないでしょう?まあ「良い人」
ならば良心の呵責を感じることを期待できるとは思いますが…。私はむしろ間違った「良心の
呵責」に悩む人は救って差し上げたいものだと常々思っております。
>>まず何より、事実何があったかを知らないのに、「真からの後悔の念」が出てくるはずがありません。
>普通程度の知識では、出てくるはずがないと言う決め付けは、完全に貴方の偏見だ、と思います。
>大変失礼な言い方になるかもしれませんが、もしかして貴方はあまり想像力のないほうではありま
>せんか?
とんでもありません。(普通これだけ無礼な事を言われて怒らない方がどうかしているかと
思いますが、せっかくですから続けます。長いので稿を変えさせていただきます)
これは メッセージ 767 (sugarplum_la さん)への返信です.
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