真実の歴史を学ぶ(3)
投稿者: allyofjustice007 投稿日時: 2007/10/31 10:33 投稿番号: [73624 / 230347]
【朝貢国の優等生になった朝鮮】
丙子胡乱ビョンジャホラン(1637年)の際に、清国軍十万の侵略を受けて降伏した朝鮮は、
以下の三点を盟約させられている。
1, 朝鮮は公文書に清の年号を用いること
2, 王位継承に置いて、柵封を受けること
3, 一年4貢を受領すること
このような事実を韓国の教科書は全く書いていない。
「丙子胡乱」については、次のように書いているだけである。
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後金は勢力を強め、国の名称を清とかえ、
朝鮮王朝に対して君臣の礼を要求して再び侵入し、漢陽(ハニヤン)を占領した。
そのため仁祖(インジョ)は臣下とともに南漢山城に移り、四十五日間抗戦したが、
遂に清の要求を受け入れて講話を結んだ。
この戦争を丙子胡乱という(1936)
-------------------------------------------------------- -
(中略)
実際には、右の講和の結果、1637年から1881年までの244年間に、
清から朝鮮への勅使派遣は161回に及び、朝鮮から清への朝貢使は500回以上にも
及んでいた。
清の勅使を迎えるたびごとに、朝鮮国王は漢城郊外の迎恩門に至り、土下座して恭しく勅使を
迎えた後、慕華館で勅使の接待をする事を余儀なくされていた。
毎年4回とされた朝貢は、1644年以降は毎年一回に減らされたが、それでもこれは他の
朝貢国に比べると並はずれて多い。
琉球は2年に一回、
タイは3年に一回、
ベトナムは4年に一回
ビルマやラオスは10年に一回であった
朝鮮こそ最も中国に忠実な、朝貢国の優等生だったのである。
また、一般的には朝貢外交は朝貢国にとって、「経済的・文化的実利」をもたらすものであるが、
朝鮮の場合はそうではなかった。
中国との事大外交に伴う経済的負担は、宗主国よりも朝鮮側の方が大きかったのである。
勝岡寛次著、韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する(小学館文庫)
1694年に宗主国・清の康煕帝が粛宗にした事たとえば、朝鮮の粛宗(スクチョン)が
1694年、宗主国の康煕帝に奉呈した貢文に、康煕帝の気に入らない言葉が一つあっただけで、
礼部(文部省)から朝鮮国王に対してし、罰金銀一万両、皇帝の年貢に対する回賜(見返りの贈り物)
3年間停止の処分を受けている。
もちろん、康煕帝は、貨幣の鋳造権も、食糧、兵士提供の要求権も朝鮮国王から回収した。
黄文雄著、中国・韓国の歴史歪曲(光文社)より引用
丙子胡乱ビョンジャホラン(1637年)の際に、清国軍十万の侵略を受けて降伏した朝鮮は、
以下の三点を盟約させられている。
1, 朝鮮は公文書に清の年号を用いること
2, 王位継承に置いて、柵封を受けること
3, 一年4貢を受領すること
このような事実を韓国の教科書は全く書いていない。
「丙子胡乱」については、次のように書いているだけである。
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後金は勢力を強め、国の名称を清とかえ、
朝鮮王朝に対して君臣の礼を要求して再び侵入し、漢陽(ハニヤン)を占領した。
そのため仁祖(インジョ)は臣下とともに南漢山城に移り、四十五日間抗戦したが、
遂に清の要求を受け入れて講話を結んだ。
この戦争を丙子胡乱という(1936)
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(中略)
実際には、右の講和の結果、1637年から1881年までの244年間に、
清から朝鮮への勅使派遣は161回に及び、朝鮮から清への朝貢使は500回以上にも
及んでいた。
清の勅使を迎えるたびごとに、朝鮮国王は漢城郊外の迎恩門に至り、土下座して恭しく勅使を
迎えた後、慕華館で勅使の接待をする事を余儀なくされていた。
毎年4回とされた朝貢は、1644年以降は毎年一回に減らされたが、それでもこれは他の
朝貢国に比べると並はずれて多い。
琉球は2年に一回、
タイは3年に一回、
ベトナムは4年に一回
ビルマやラオスは10年に一回であった
朝鮮こそ最も中国に忠実な、朝貢国の優等生だったのである。
また、一般的には朝貢外交は朝貢国にとって、「経済的・文化的実利」をもたらすものであるが、
朝鮮の場合はそうではなかった。
中国との事大外交に伴う経済的負担は、宗主国よりも朝鮮側の方が大きかったのである。
勝岡寛次著、韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する(小学館文庫)
1694年に宗主国・清の康煕帝が粛宗にした事たとえば、朝鮮の粛宗(スクチョン)が
1694年、宗主国の康煕帝に奉呈した貢文に、康煕帝の気に入らない言葉が一つあっただけで、
礼部(文部省)から朝鮮国王に対してし、罰金銀一万両、皇帝の年貢に対する回賜(見返りの贈り物)
3年間停止の処分を受けている。
もちろん、康煕帝は、貨幣の鋳造権も、食糧、兵士提供の要求権も朝鮮国王から回収した。
黄文雄著、中国・韓国の歴史歪曲(光文社)より引用
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