朝鮮の陶磁器の真実(プッ
投稿者: hikariyusk 投稿日時: 2007/09/01 21:30 投稿番号: [66366 / 230347]
来年から、中学校の教科書に載るかも。
>朝鮮の陶磁器は優秀だったのか?
最近の文化考察が好評のようだ、と勝手に考え、朝鮮半島を代表する文化とされる陶磁器、特に李朝と呼ばれる李朝陶磁器について考えてみよう。
まず、基本的な話として、朝鮮半島でなぜ、文化・文明が育たないか、の理由を述べたい。
それは、朝鮮半島の伝統的価値観、労働・勤労をきわめて低いものと蔑む、劣化儒教思想に原因があるのである。
額に汗して、良いものを作ろうとする事を蔑む社会では、芸術・文化などが育つはずが無い。
今でこそ、チャングムとなど、いい始めているが、料理人は極めて身分の低い人が行う、蔑むべき労働とされていたのだ。
そんな中では「おいしいものを食べさせたい」という食文化が育つわけが無い。陶工職も同じで、労働して生活する身分の低いものと扱われていたのである。そんな中で、良い陶磁器などできるわけが無いのである。
李朝陶磁器はその名声と裏腹に、「古い」というだけで、芸術的な価値などほとんど無いのである。
(全てというと言いすぎか・・・。)なぜ、そのようなものが名声を得るようになったのか、なぜ、子どもの駄作とも言うべきものが、「日本人は朝鮮文化が好きニダ、ホルホル」と扱われるのだろうか。
その秘密は3つある。一つは織田信長の「天下布武」にまつわるもの、もう一つは豊臣秀吉の朝鮮出兵に関しての話。
最後は、日韓併合と柳宋悦=柳宗悦氏の話である。
今回は、一番の織田信長「天下布武」の話を中心に、3番目の日韓併合と柳宋悦=柳宗悦氏の話を少ししたい。
李氏朝鮮の陶磁器が、その名声を得た2つの時期がある。織田信長が活躍した戦国末期の時代に、国、一国より価値がある茶器もてはやされた時代である。
もう一つが、ごく普通の平民のものに、美術、芸術を認め、「民芸」というものの価値を高く評価した柳宋悦=柳宗悦(以後、柳宋悦で統一表記)氏の活躍による。
逆に言えば、この2つの時期以外は、やはり、朝鮮陶磁器は価値を認められず、価値の低いものとされていたのである。
その証拠として、この時期の陶磁器は東アジアから欧州への貴重な輸出品であったが、磁器=チャイナ というぐらいシナからの輸出が多い。
その次が日本からの輸出品である。柿右衛門の赤などは相当尊ばれた。
しかし、朝鮮からの陶磁器の輸出はほとんど無い。鎖国しているとはいえ、価値が無いからなのだ。
なぜ、信長の時代に価値の無い李朝陶磁器が尊ばれたのだろうか。それは、その時代の「国取り物語」に所以があるのだ。
戦を行い、分捕った領土を部下に分け与え、恩を売ることで体制を保ったのである。
しかし、そう部下に領土を与え続けるわけには行かない。土地には限りがあり、領土の代わりの金も限度がある。そこで、その当時に武将の間で、はやっていた茶道に目を付けたのが織田信長だ。
織田信長は「茶」をこよなく愛したことになっているが、その実、部下の掌握として、茶道を利用したのである。
ルソン(フィリピン)の雑器、便器なども「珍しい茶器」として、尊ばれるようになった。
その珍しい茶器の一つとして、扱われたのが李朝の陶磁器と言うわけだ。
>朝鮮の陶磁器は優秀だったのか?
最近の文化考察が好評のようだ、と勝手に考え、朝鮮半島を代表する文化とされる陶磁器、特に李朝と呼ばれる李朝陶磁器について考えてみよう。
まず、基本的な話として、朝鮮半島でなぜ、文化・文明が育たないか、の理由を述べたい。
それは、朝鮮半島の伝統的価値観、労働・勤労をきわめて低いものと蔑む、劣化儒教思想に原因があるのである。
額に汗して、良いものを作ろうとする事を蔑む社会では、芸術・文化などが育つはずが無い。
今でこそ、チャングムとなど、いい始めているが、料理人は極めて身分の低い人が行う、蔑むべき労働とされていたのだ。
そんな中では「おいしいものを食べさせたい」という食文化が育つわけが無い。陶工職も同じで、労働して生活する身分の低いものと扱われていたのである。そんな中で、良い陶磁器などできるわけが無いのである。
李朝陶磁器はその名声と裏腹に、「古い」というだけで、芸術的な価値などほとんど無いのである。
(全てというと言いすぎか・・・。)なぜ、そのようなものが名声を得るようになったのか、なぜ、子どもの駄作とも言うべきものが、「日本人は朝鮮文化が好きニダ、ホルホル」と扱われるのだろうか。
その秘密は3つある。一つは織田信長の「天下布武」にまつわるもの、もう一つは豊臣秀吉の朝鮮出兵に関しての話。
最後は、日韓併合と柳宋悦=柳宗悦氏の話である。
今回は、一番の織田信長「天下布武」の話を中心に、3番目の日韓併合と柳宋悦=柳宗悦氏の話を少ししたい。
李氏朝鮮の陶磁器が、その名声を得た2つの時期がある。織田信長が活躍した戦国末期の時代に、国、一国より価値がある茶器もてはやされた時代である。
もう一つが、ごく普通の平民のものに、美術、芸術を認め、「民芸」というものの価値を高く評価した柳宋悦=柳宗悦(以後、柳宋悦で統一表記)氏の活躍による。
逆に言えば、この2つの時期以外は、やはり、朝鮮陶磁器は価値を認められず、価値の低いものとされていたのである。
その証拠として、この時期の陶磁器は東アジアから欧州への貴重な輸出品であったが、磁器=チャイナ というぐらいシナからの輸出が多い。
その次が日本からの輸出品である。柿右衛門の赤などは相当尊ばれた。
しかし、朝鮮からの陶磁器の輸出はほとんど無い。鎖国しているとはいえ、価値が無いからなのだ。
なぜ、信長の時代に価値の無い李朝陶磁器が尊ばれたのだろうか。それは、その時代の「国取り物語」に所以があるのだ。
戦を行い、分捕った領土を部下に分け与え、恩を売ることで体制を保ったのである。
しかし、そう部下に領土を与え続けるわけには行かない。土地には限りがあり、領土の代わりの金も限度がある。そこで、その当時に武将の間で、はやっていた茶道に目を付けたのが織田信長だ。
織田信長は「茶」をこよなく愛したことになっているが、その実、部下の掌握として、茶道を利用したのである。
ルソン(フィリピン)の雑器、便器なども「珍しい茶器」として、尊ばれるようになった。
その珍しい茶器の一つとして、扱われたのが李朝の陶磁器と言うわけだ。
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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