日本人気概の韓国人?故人を冒涜するな
投稿者: stonecalcall 投稿日時: 2007/08/19 09:24 投稿番号: [64545 / 230347]
>現代の無責任朝鮮人&在日大ッ嫌いな俺だか、終戦までは、一部に「洪中将」はじめ、
「日本人的気概を持った韓国人もいた」事は、インドネシアの終戦時逸話にちなんで記しておこうか。<
>最後は「大韓民国独立万歳、万歳、万歳」と三唱して刑木に縛されたという。<
なんか、妙に「韓国人」とか「大韓民国」と書く連中が増えたけど・・・・
こういう話しで、おかしな書き換えはやめるべきだろう。
この話しは、
>再度インドネシアを植民地にしようとするオランダ軍によって不当極まりない軍事裁判の中に【朝鮮人兵士】朴成根少年が無実の捕虜虐待の罪で被告席に立たされていた。 裁判とは程遠いものだった。 馬渕逸男司令官代理が気の毒に思い裁判の合間に面会に行った。 「真に気の毒な結末となって相すまぬ」というと「なあに運命ですよ。ここでは正邪曲直は通りません。覚悟は決めていますから平気です。 堂々と戦います」ときっぱり答えたという。 単なる復讐劇だからまともな判決が出るはずもなく朴少年も死刑の判決を受けた。 父親の代理ということで馬渕少将が死刑の直前朴少年に面会した。 「戦争が負けたばかりに君にこんな目にあわせて何とも申し訳ない」と云うと少年は「何、仇に裁かれては仕方ない。 しかし、アジアは独立しますよ。日本の勝ちですよ。 おかげで朝鮮も独立できます」 最後に愛国行進曲を歌うといって少年は歌い始めた。 少将は聞いていて涙がこぼれたという。 そして少年は「私は一人息子で姉一人妹一人。 親にかわいがられて育った。 父は亡くなり姉は嫁いだ。 母は私の死を悲しむだろう。 妹に私に代わって孝行して呉れと、(少将に同行した朝鮮の友人に)遺言を頼みました」と云った。 制限時間はとっくにすぎたので千万無量の手を握り合って訣れたが。 彼の瞳は澄み、「もう、これで思い残すことはない」と云った。 処刑にあたっては卑劣なオランダ人の兵士達の前で威風堂々とした態度であったという。刑木に縛られる前に見物人を一わたり見渡し、「【大韓国】独立万歳、万歳、万歳」と偉大なる祈りを三唱した。 ときに昭和22年1月、朴成根少年享年19歳。<
間違っても、
>「【大韓民国】独立万歳、万歳、万歳」<
なんてことは言っていない。
しかも、元の文章では、きちんと【兵士】であって、【軍属】ではない。
故人のことであるから、妙な書き換えは厳に注意すべきだろう。
当時、大韓民国などないのだから、言うはずがないことだ。
さらに、
河合政「死刑囚」『秘録大東亜戦史』蘭印篇、富士書苑、1953年には、>「抑留市民の虐待」という罪状で死刑判決を受けた朴成根という人は、同胞に「祖国再建に努力してくれ」と言い残し、処刑の際に目隠しを拒み、「それまで一度も口に出さなかった“朝鮮独立万歳”を叫んで死んでいった」<
ともある。
日本の軍歌も歌っており、日本は勝ったと言っているあたり、日本軍人として誇りを持ち、かつ、故郷が独立して良かったと思った、そういう方だったはずだ。
洪思秣中将も、日頃から「私は、朝鮮人である」「日本軍人として天皇陛下にために一命を捧げる者だ」とよく言っていた。
間違っても、「私は、韓国人だ」などと言ったことはない。
彼らが今の下らない国、「反日韓国」「韓国人」を見たら、唾棄することは間違いない。
彼らのことを「韓国人」などと軽薄に言うべきではない。
彼らは、朝鮮人であることに誇りをもっていた。
今の言い換えやスリ替えばかりやってる情けない「韓国人」と一緒にしてもらいたくないものだ。
「日本人的気概を持った韓国人もいた」事は、インドネシアの終戦時逸話にちなんで記しておこうか。<
>最後は「大韓民国独立万歳、万歳、万歳」と三唱して刑木に縛されたという。<
なんか、妙に「韓国人」とか「大韓民国」と書く連中が増えたけど・・・・
こういう話しで、おかしな書き換えはやめるべきだろう。
この話しは、
>再度インドネシアを植民地にしようとするオランダ軍によって不当極まりない軍事裁判の中に【朝鮮人兵士】朴成根少年が無実の捕虜虐待の罪で被告席に立たされていた。 裁判とは程遠いものだった。 馬渕逸男司令官代理が気の毒に思い裁判の合間に面会に行った。 「真に気の毒な結末となって相すまぬ」というと「なあに運命ですよ。ここでは正邪曲直は通りません。覚悟は決めていますから平気です。 堂々と戦います」ときっぱり答えたという。 単なる復讐劇だからまともな判決が出るはずもなく朴少年も死刑の判決を受けた。 父親の代理ということで馬渕少将が死刑の直前朴少年に面会した。 「戦争が負けたばかりに君にこんな目にあわせて何とも申し訳ない」と云うと少年は「何、仇に裁かれては仕方ない。 しかし、アジアは独立しますよ。日本の勝ちですよ。 おかげで朝鮮も独立できます」 最後に愛国行進曲を歌うといって少年は歌い始めた。 少将は聞いていて涙がこぼれたという。 そして少年は「私は一人息子で姉一人妹一人。 親にかわいがられて育った。 父は亡くなり姉は嫁いだ。 母は私の死を悲しむだろう。 妹に私に代わって孝行して呉れと、(少将に同行した朝鮮の友人に)遺言を頼みました」と云った。 制限時間はとっくにすぎたので千万無量の手を握り合って訣れたが。 彼の瞳は澄み、「もう、これで思い残すことはない」と云った。 処刑にあたっては卑劣なオランダ人の兵士達の前で威風堂々とした態度であったという。刑木に縛られる前に見物人を一わたり見渡し、「【大韓国】独立万歳、万歳、万歳」と偉大なる祈りを三唱した。 ときに昭和22年1月、朴成根少年享年19歳。<
間違っても、
>「【大韓民国】独立万歳、万歳、万歳」<
なんてことは言っていない。
しかも、元の文章では、きちんと【兵士】であって、【軍属】ではない。
故人のことであるから、妙な書き換えは厳に注意すべきだろう。
当時、大韓民国などないのだから、言うはずがないことだ。
さらに、
河合政「死刑囚」『秘録大東亜戦史』蘭印篇、富士書苑、1953年には、>「抑留市民の虐待」という罪状で死刑判決を受けた朴成根という人は、同胞に「祖国再建に努力してくれ」と言い残し、処刑の際に目隠しを拒み、「それまで一度も口に出さなかった“朝鮮独立万歳”を叫んで死んでいった」<
ともある。
日本の軍歌も歌っており、日本は勝ったと言っているあたり、日本軍人として誇りを持ち、かつ、故郷が独立して良かったと思った、そういう方だったはずだ。
洪思秣中将も、日頃から「私は、朝鮮人である」「日本軍人として天皇陛下にために一命を捧げる者だ」とよく言っていた。
間違っても、「私は、韓国人だ」などと言ったことはない。
彼らが今の下らない国、「反日韓国」「韓国人」を見たら、唾棄することは間違いない。
彼らのことを「韓国人」などと軽薄に言うべきではない。
彼らは、朝鮮人であることに誇りをもっていた。
今の言い換えやスリ替えばかりやってる情けない「韓国人」と一緒にしてもらいたくないものだ。
これは メッセージ 64540 (devil_snr さん)への返信です.
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