Re: 女子挺身隊だった事を誇るインドネシア
投稿者: baribaripati 投稿日時: 2007/08/19 01:55 投稿番号: [64539 / 230347]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog036.html
インドネシアの独立記念日05年8月17日の意味するもの!
この「05」年は、当時、「昭和」と共に日本で使われていた「皇紀」(神武天皇の即位した紀元前660年を元年とする)で、「2605」年が略されたものなのです。さて皆さん、なぜ、スカルノ等はインドネシア独立宣言書に日本独自の紀年法である「皇紀」で年月日を記載したのでしょうか? そこには、インドネシアの独立に深く関わった「日本」の存在があったのです。
■4.植民地復活を狙うイギリス、オランダ■
日本軍が降伏した1945年8月15日の二日後、スカルノとハッタは
すかさず独立宣言(1945年8月17日)を行う。18日には、インドネシア共和国憲法を採
択し、それぞれ大統領、副大統領に就任した。
しかしイギリスとオランダは、植民地の復活を狙い、「日本軍は
連合軍が進駐し、交代を命ずるまで、現状を維持し、治安を確保す
べし。そのために必要なる武器は保持してもよろしいから、暴動は
必ず鎮圧すべし」と命令した。降伏した日本軍を使って、独立
運動を阻止しようというのである。
インドネシア側は、来るべき独立戦争に備えるためにも、
何としても日本軍が保有している武器が必要であった。今まで日本
軍に協力してきた幹部達は、必死に日本軍に支援を訴えた。
日本軍には、オランダ軍の目を盗んで、インドネシア側に協力す
る人々が現れた。中部ジャワ地区の馬淵逸雄少将は、廃兵器処理の
許可を得るや、それを拡大解釈して、トラック何台分もの武器をチ
レボン河の河原に捨てた。対岸で待機していたインドネシア側がこ
れをごっそり手に入れた。
自ら、軍籍を離脱して、インドネシア軍に身を投じた人々も多か
った。その一人古閑正義中尉は、熊本県出身、明治大学で柔道とラ
グビーの名選手だった。スマトラのアチエ州で、地元の青年達を
「何が何でも独立を勝ち取れ」と教育していた。
昭和天皇の終戦の詔勅の中の「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、
遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」という言葉から、インドネシア人を見
捨てて、日本に帰る気持ちにはなれず、同じ部隊の少尉4名ととも
に、独立軍に参加した。戦闘に慣れないインドネシア人を率いて、
常に先頭に立って、指揮をした。[2,p94]
このインドネシア独立にかけた日本人の気概
http://www.niji.or.jp/home/ooen/sub7-indnesia.htm
http://tech.heteml.jp/2007/06/post_989.html
インドネシアの独立記念日05年8月17日の意味するもの!
この「05」年は、当時、「昭和」と共に日本で使われていた「皇紀」(神武天皇の即位した紀元前660年を元年とする)で、「2605」年が略されたものなのです。さて皆さん、なぜ、スカルノ等はインドネシア独立宣言書に日本独自の紀年法である「皇紀」で年月日を記載したのでしょうか? そこには、インドネシアの独立に深く関わった「日本」の存在があったのです。
■4.植民地復活を狙うイギリス、オランダ■
日本軍が降伏した1945年8月15日の二日後、スカルノとハッタは
すかさず独立宣言(1945年8月17日)を行う。18日には、インドネシア共和国憲法を採
択し、それぞれ大統領、副大統領に就任した。
しかしイギリスとオランダは、植民地の復活を狙い、「日本軍は
連合軍が進駐し、交代を命ずるまで、現状を維持し、治安を確保す
べし。そのために必要なる武器は保持してもよろしいから、暴動は
必ず鎮圧すべし」と命令した。降伏した日本軍を使って、独立
運動を阻止しようというのである。
インドネシア側は、来るべき独立戦争に備えるためにも、
何としても日本軍が保有している武器が必要であった。今まで日本
軍に協力してきた幹部達は、必死に日本軍に支援を訴えた。
日本軍には、オランダ軍の目を盗んで、インドネシア側に協力す
る人々が現れた。中部ジャワ地区の馬淵逸雄少将は、廃兵器処理の
許可を得るや、それを拡大解釈して、トラック何台分もの武器をチ
レボン河の河原に捨てた。対岸で待機していたインドネシア側がこ
れをごっそり手に入れた。
自ら、軍籍を離脱して、インドネシア軍に身を投じた人々も多か
った。その一人古閑正義中尉は、熊本県出身、明治大学で柔道とラ
グビーの名選手だった。スマトラのアチエ州で、地元の青年達を
「何が何でも独立を勝ち取れ」と教育していた。
昭和天皇の終戦の詔勅の中の「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、
遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」という言葉から、インドネシア人を見
捨てて、日本に帰る気持ちにはなれず、同じ部隊の少尉4名ととも
に、独立軍に参加した。戦闘に慣れないインドネシア人を率いて、
常に先頭に立って、指揮をした。[2,p94]
このインドネシア独立にかけた日本人の気概
http://www.niji.or.jp/home/ooen/sub7-indnesia.htm
http://tech.heteml.jp/2007/06/post_989.html
これは メッセージ 64510 (toriaezuitteokou さん)への返信です.
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