金日成と金正日の真実
投稿者: picsaintloup 投稿日時: 2005/02/26 11:52 投稿番号: [6318 / 230347]
>しかし、朝鮮戦争を闘った金日成が、武力による統一と言う夢に固執していた可能性はあります。
「朝鮮戦争」時には、金日成も若かったことですし、「東側陣営」盟主のソビエトに唆されて、そう思っていたのでしょうね。建国直後で意気あがる中国の加勢も期待できる状勢でしたし。
しかしその後は国内での権力闘争に忙しく(「南労派」「モスクワ派」「延安派」「パルチザン派」「甲山派」を次々に粛清)、さらに徐々に中ソの中が険悪になったことから、仕方なく「主体思想」に基く独自路線を打ち出し、半ば「鎖国政策」を取るようになりましたので、この時点でアメリカを筆頭とする「国連軍」が後ろ盾の韓国と正規戦を戦って勝利し、「朝鮮半島」を統一するというような非現実的な夢は諦めたのではないでしょうか。
1970年代になりますと、韓国も「漢江の奇跡」で経済復興し、北朝鮮が軍事的にも簡単に勝てる状況ではなくなりましたからね。
それにも関わらず、金日成が武力での「朝鮮半島統一」を言い続けたのは、第一に自己の独裁的権力基盤をさらに強固にすることが目的だったろうと思います。また「軍国主義」の一層の推進により、国民はさらなる耐乏生活を余儀なくされることになりますので、耐乏を強いるための大義名分として「朝鮮半島統一」というスローガンが必要だったのではないかと思います。
>当時の金正日は、(対南工作のために)日本人拉致を主導していたそうなので、主張が異なるのは当然だと思います。
金日成と金正日との権力闘争は凄まじいものがありました。金日成は金正日が自己の後継者にふさわしいかどうか、甚だ疑問に感じていましたので、何度も金正日を後継者から外そうとしたのですが、その都度金正日は「父に絶対忠誠を誓う素振り」を示し、危機をしのいできました。そのうち、金正日は「朝鮮労働党・三号庁舎)」及び「人民武力部・偵察局)」という「党」、及び「軍」の「工作機関」に独自の基盤を築くことに成功し、1980年代になると金日成も簡単に手出しが出来ないほどの実力を持つようになってきました。
金日成と金正日の最後の権力闘争は、1993年3月13日の金正日による核兵器保有の意思を露にした「NPT脱退」宣言と、それを反故にして国際社会と何とか妥協しようとする金日成との間で戦われ、1994年初頭の慈江道の「江界国防大学」で発生した「金正日暗殺未遂事件」、それに続く同年7月の「金日成急死事件」という形で決着しました。
権力闘争に勝った金正日は、三年間をかけてじっくりと金日成の最後の夫人金聖愛、その子で後継者争いのライバル的存在だった金平一、さらにそれに連なる人脈を権力の中枢から追い落とし、現在の独裁権力を掌中にしたといえるでしょう。
1993〜94年頃の権力闘争につきましては、「連合艦隊(金日成を担ぎ、柔軟な外交姿勢に転じようとする穏健派)と「独立軍団」(金正日に従い、独自路線を貫徹しようとする強硬派)の最後の戦いとして知られています。
「朝鮮戦争」時には、金日成も若かったことですし、「東側陣営」盟主のソビエトに唆されて、そう思っていたのでしょうね。建国直後で意気あがる中国の加勢も期待できる状勢でしたし。
しかしその後は国内での権力闘争に忙しく(「南労派」「モスクワ派」「延安派」「パルチザン派」「甲山派」を次々に粛清)、さらに徐々に中ソの中が険悪になったことから、仕方なく「主体思想」に基く独自路線を打ち出し、半ば「鎖国政策」を取るようになりましたので、この時点でアメリカを筆頭とする「国連軍」が後ろ盾の韓国と正規戦を戦って勝利し、「朝鮮半島」を統一するというような非現実的な夢は諦めたのではないでしょうか。
1970年代になりますと、韓国も「漢江の奇跡」で経済復興し、北朝鮮が軍事的にも簡単に勝てる状況ではなくなりましたからね。
それにも関わらず、金日成が武力での「朝鮮半島統一」を言い続けたのは、第一に自己の独裁的権力基盤をさらに強固にすることが目的だったろうと思います。また「軍国主義」の一層の推進により、国民はさらなる耐乏生活を余儀なくされることになりますので、耐乏を強いるための大義名分として「朝鮮半島統一」というスローガンが必要だったのではないかと思います。
>当時の金正日は、(対南工作のために)日本人拉致を主導していたそうなので、主張が異なるのは当然だと思います。
金日成と金正日との権力闘争は凄まじいものがありました。金日成は金正日が自己の後継者にふさわしいかどうか、甚だ疑問に感じていましたので、何度も金正日を後継者から外そうとしたのですが、その都度金正日は「父に絶対忠誠を誓う素振り」を示し、危機をしのいできました。そのうち、金正日は「朝鮮労働党・三号庁舎)」及び「人民武力部・偵察局)」という「党」、及び「軍」の「工作機関」に独自の基盤を築くことに成功し、1980年代になると金日成も簡単に手出しが出来ないほどの実力を持つようになってきました。
金日成と金正日の最後の権力闘争は、1993年3月13日の金正日による核兵器保有の意思を露にした「NPT脱退」宣言と、それを反故にして国際社会と何とか妥協しようとする金日成との間で戦われ、1994年初頭の慈江道の「江界国防大学」で発生した「金正日暗殺未遂事件」、それに続く同年7月の「金日成急死事件」という形で決着しました。
権力闘争に勝った金正日は、三年間をかけてじっくりと金日成の最後の夫人金聖愛、その子で後継者争いのライバル的存在だった金平一、さらにそれに連なる人脈を権力の中枢から追い落とし、現在の独裁権力を掌中にしたといえるでしょう。
1993〜94年頃の権力闘争につきましては、「連合艦隊(金日成を担ぎ、柔軟な外交姿勢に転じようとする穏健派)と「独立軍団」(金正日に従い、独自路線を貫徹しようとする強硬派)の最後の戦いとして知られています。
これは メッセージ 6315 (b598056 さん)への返信です.
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