私の考えです
投稿者: nihonzin55 投稿日時: 2007/08/03 01:04 投稿番号: [62584 / 230347]
靖国神社は戦争讃美の施設である。このことは何人(なんぴと)といえども否定しえない事実であるし、靖国神社が過去の戦争を「聖戦」「正しい戦争」と讃美していることは日本人として隠蔽することはできない。その靖国に深く頭を垂れ、「二度と戦争を繰り返してはならないという不戦の誓いから参拝した」と小泉はまたしても日韓首脳会談で発言したが、こんな破廉恥な屁理屈がいったいどこの世界で通用するだろう。日本の恥(あるいは無知)を全世界に晒しているようなものであり、日本国首相の「学力の低下」問題は、耐え難い屈辱と国家的危難をこの国にもたらしている。
日本人が(ましてや日本国の首相が)先の戦争の戦没者を追悼しようとするならば、全アジアの戦死者を追悼する態度と姿勢を見せなければならない。日本国は大東亜戦争で「アジア解放」を唱えながらも、結果としてアジアの民衆を大量殺戮し(殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くし)、かつ我が国の民衆の命と生活を守ることができず、ヒロシマ・ナガサキ・オキナワでは敵国の無惨な殺戮戦に無辜の民の命をさし出したのである。「不戦の誓い」を言うのならば、その戦争の過ちを認め、「アジア解放」とは真逆の悲惨をもたらした全アジアの戦死者に深く頭を垂れなければならない。追悼する「御霊」に差別・選別があってはならない。それが「アジア解放」を唱えた国家の責任ではないか。
そのことを為し得ないならば、日本国は未来の「東アジア共同体」のリーダーとはなりえない。「靖国は日本人の魂の問題であり、他国から干渉されるべきものではない」などという詭弁は国際的に通用するものではない。なぜなら靖国は日本国軍隊の「御霊」だけを祀り、それを「軍神」として「顕彰」し、大東亜戦争を讃美・肯定することで事実上全アジア民衆の「御霊」に唾を吐きかけているからだ。そんな施設に頭を垂れて、アジアの国家及び民衆と仲良くしようと手を差し伸べても、どこに「未来志向」が生まれるのか。これを日本国の恥及び無知及び屈辱と言わずして何と言おう。靖国及び歴史認識問題を外交交渉のテーブルに載せることが他国を利することになると言う人がいる。そうではあるまい、あのような全アジアを敵に回す不快な言動を(それと意識せず)平然と言い放ち続けることが、どれだけ外交交渉にブレーキをかけ、我が国の未来に不利益をもたらしているかを考えたほうがいい。あの小泉の「悪気のない顔」に騙されてはいけない、あれはただの外交能力のない、無知で恥ずべき日本人の顔ではないか。だいいち、日本国首相の「知的水準」をこれ以上世界に晒すことは耐え難い。百歩譲って小泉に思想信条なるものがあるとすれば、その思想は日本国の未来には役に立たないということだ。
私は、日本国憲法第20条「信教の自由」において、靖国という一宗教法人が(それがいかなるカルトであろうとも)存続することに異論をさし挟む者ではない。しかし、日本国の政治権力が靖国に関わることは断じてあってはならないと思う。ましてや、自衛隊の戦死者を今後靖国に祀るようなことがあっては絶対にならない。日本国に命を捧げた者の「御霊」を祀ることを正当化するならば、全戦死者の「御霊」を祀るべきである。それができず、「軍神」のみを祀るということがいかなる価値と意味をもたらすのか、そして戦争を讃美し続け、日本人の霊魂を拘束することにいかなる意図があるのか、私たちは知るべきである。私はこの国に靖国神社の信奉者がいても、それはそれでかまわないと思う。しかし、繰り返し述べるが、国家権力がそこに関与することは許されないことである。
新追悼施設を建設するとしても(それが「軍神顕彰施設」ではなく「全戦死者追悼施設」であればの話だが)、私は日本人の霊魂を国家管理することに反対である。それはただ「シンボルとしての慰霊碑」にとどまるべきではないか。そして、その追悼施設は、日本国が世界の戦争に反対し、また自らが「不戦の誓い」をするものでなければならない。たとえ各国が軍事力を有しているとしても、すべての国家間問題を平和的に解決する努力を怠るべきではないし、日本国が軍縮のリーダーとなるべきである。そして、その追悼施設は先の大東亜戦争を否定し、全アジア民衆の痛ましい死に深く頭を垂れるものでなければならない。そのようにして初めて我が国はアジアの国家及び民衆から信頼され、対等に向き合えるのではないか。少なくとも「東アジア共同体」へ向けた「未来志向」は、そのような中からしか生まれないだろう。
今後の日本の繁栄はないといってもよいです。戦争を美化する野蛮国家は
ない。個人賠償も進まないのはおかしいです。独島も完全にあきらめてもらいたい。
日本人が(ましてや日本国の首相が)先の戦争の戦没者を追悼しようとするならば、全アジアの戦死者を追悼する態度と姿勢を見せなければならない。日本国は大東亜戦争で「アジア解放」を唱えながらも、結果としてアジアの民衆を大量殺戮し(殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くし)、かつ我が国の民衆の命と生活を守ることができず、ヒロシマ・ナガサキ・オキナワでは敵国の無惨な殺戮戦に無辜の民の命をさし出したのである。「不戦の誓い」を言うのならば、その戦争の過ちを認め、「アジア解放」とは真逆の悲惨をもたらした全アジアの戦死者に深く頭を垂れなければならない。追悼する「御霊」に差別・選別があってはならない。それが「アジア解放」を唱えた国家の責任ではないか。
そのことを為し得ないならば、日本国は未来の「東アジア共同体」のリーダーとはなりえない。「靖国は日本人の魂の問題であり、他国から干渉されるべきものではない」などという詭弁は国際的に通用するものではない。なぜなら靖国は日本国軍隊の「御霊」だけを祀り、それを「軍神」として「顕彰」し、大東亜戦争を讃美・肯定することで事実上全アジア民衆の「御霊」に唾を吐きかけているからだ。そんな施設に頭を垂れて、アジアの国家及び民衆と仲良くしようと手を差し伸べても、どこに「未来志向」が生まれるのか。これを日本国の恥及び無知及び屈辱と言わずして何と言おう。靖国及び歴史認識問題を外交交渉のテーブルに載せることが他国を利することになると言う人がいる。そうではあるまい、あのような全アジアを敵に回す不快な言動を(それと意識せず)平然と言い放ち続けることが、どれだけ外交交渉にブレーキをかけ、我が国の未来に不利益をもたらしているかを考えたほうがいい。あの小泉の「悪気のない顔」に騙されてはいけない、あれはただの外交能力のない、無知で恥ずべき日本人の顔ではないか。だいいち、日本国首相の「知的水準」をこれ以上世界に晒すことは耐え難い。百歩譲って小泉に思想信条なるものがあるとすれば、その思想は日本国の未来には役に立たないということだ。
私は、日本国憲法第20条「信教の自由」において、靖国という一宗教法人が(それがいかなるカルトであろうとも)存続することに異論をさし挟む者ではない。しかし、日本国の政治権力が靖国に関わることは断じてあってはならないと思う。ましてや、自衛隊の戦死者を今後靖国に祀るようなことがあっては絶対にならない。日本国に命を捧げた者の「御霊」を祀ることを正当化するならば、全戦死者の「御霊」を祀るべきである。それができず、「軍神」のみを祀るということがいかなる価値と意味をもたらすのか、そして戦争を讃美し続け、日本人の霊魂を拘束することにいかなる意図があるのか、私たちは知るべきである。私はこの国に靖国神社の信奉者がいても、それはそれでかまわないと思う。しかし、繰り返し述べるが、国家権力がそこに関与することは許されないことである。
新追悼施設を建設するとしても(それが「軍神顕彰施設」ではなく「全戦死者追悼施設」であればの話だが)、私は日本人の霊魂を国家管理することに反対である。それはただ「シンボルとしての慰霊碑」にとどまるべきではないか。そして、その追悼施設は、日本国が世界の戦争に反対し、また自らが「不戦の誓い」をするものでなければならない。たとえ各国が軍事力を有しているとしても、すべての国家間問題を平和的に解決する努力を怠るべきではないし、日本国が軍縮のリーダーとなるべきである。そして、その追悼施設は先の大東亜戦争を否定し、全アジア民衆の痛ましい死に深く頭を垂れるものでなければならない。そのようにして初めて我が国はアジアの国家及び民衆から信頼され、対等に向き合えるのではないか。少なくとも「東アジア共同体」へ向けた「未来志向」は、そのような中からしか生まれないだろう。
今後の日本の繁栄はないといってもよいです。戦争を美化する野蛮国家は
ない。個人賠償も進まないのはおかしいです。独島も完全にあきらめてもらいたい。
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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