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Re: 鹿児島の知覧特攻平和会館

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2007/07/10 18:14 投稿番号: [60455 / 230347]
オレもこの冬に行ってきた。
鹿児島から行程は1時間半ほど。錦江湾に沿って薩摩半島東岸を指宿に向かって南下する。1時間ほど走って喜入町から直角に右折し山中に入った。曲がらずに直進し半島突端を回り込むと開聞岳が全姿を現す。特攻機はこの900mほどの岳を目標に離陸したという。
山間に入った車はくねくねと細くうねった山道を辿る。知覧台地に近づくにつれ茶畑が日当たりのよい山腹のそこかしこに見えてくる。オレがその後愛飲している知覧茶だ。

開館に合わせて行ったのでまだ訪問者はオレたちの他2組、その後小さなバスが何台か、50歳を超えた年代の善男善女を乗せてきた。

平和会館の前面は敷石が玄関口まで続き、右手に「俺   君」で使った実物大の小型機が展示されていたりするが、簡潔に配置され、よく手入れされた木々の合間に点々と、韓国系日本人特攻飛行士の慰霊碑が建ち、特攻兵ゆかりの鐘楼が地面の高さに設置してあった。その1メートルほどの鐘を静かに突かせてもらったが、静謐な空間をうつくしい音が流れた。全体的には小さな神社境内といった趣である。

館内にホチッキス型のブースが幾つもあり、3面を知覧から飛び立った飛行兵の写真がぎっしりと埋めている。その一つに初めて立ったとき、オレは一瞬、3方から彼らの目総てに見つめられたような感がした。

彼らはみな若く、しかしみな威厳に満ちている。日本の国難の時代に青春時代を過ごすことになった彼らは、すでに軍人になったとき最終的な覚悟はついていたのだろうが、帰還を期して戦死する兵もあれば、その望みを裁って殉じる兵もいる。彼らは特攻をそう受け止めていたのだろうか。彼らが残した遺書を読んで涙せぬ日本人はいないだろう。
彼らが殉じた対象は故郷の山河であり、彼らの家族、同胞だったはずで、天皇制でもなく覇権国家でもなかった。

今彼らを軍国主義に強制、洗脳された犠牲者だ、散るべきでない命を散らしたと論じる知識人は、そういった解釈が散った特攻兵士を最大限侮辱することになるのを知っているだろうに、不遜なる左傾者はためらわない。

一隅に30数年前海底から引き上げられたゼロ戦がそのまま展示してある。修復の仕様のないほど打ち寂れたゼロ戦はすごく小さかった。これが大空を駆け巡って米軍の心胆を寒からしめたとは・・ただ立ち竦むのみ。

韓国人訪問者には遭遇しなかったが、7―8年前、メキシコのパレンケ遺跡を訪ねたとき、古代王者のピラミッド型墓所や宮殿が林立し鳥の声しか聞こえない静謐な空間に、突然けたたましい韓国語の馬鹿笑い声が響き渡り、なんともいえない低俗な雰囲気に一帯が包まれた。だからあなたの言うことも本当だと思う。
オレの行ったときはIMF管理下になった数年後で、韓国人はパレンケでしか見かけなかったが、ウォン高の今はまた彼らは勇躍世界を駆け巡っているのだろう。
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