Re: 至上の楽園
投稿者: chousen_ganbare 投稿日時: 2007/06/27 10:22 投稿番号: [59603 / 230347]
>ところで、キム君は日本で、どんな立派なことをしてきたのかな?
キム同志の育ちは豊かなものでした。
生家は総工費が20億円にもおよぶ大きな橋が屋根になっておりまして、同志の生家の屋根の上を大型ダンプカーやトレーラー等が通過しても決して壊れることが無く、頑丈な建物でした。
屋根の幅は30mにも及び、大雨が降っても濡れることは無く、風通しにも恵まれた環境でした。
庭には大きな川が流れておりまして、庭で魚釣りを楽しむことが出来、幼少の頃から鯉釣りは得意でした。
近所の貧しい平均的な日本人の家では40アンペア程度での電力契約でしたが、キム同志の生家では東京電力の好意とキム同志の偉大な父の命がけでの努力による電柱からの直接続でしたので、「使い放題」でした。
食事にも困らなかった様です。
近所の貧乏人たちがスーパーで安い食料品を探して買い物をしていましたが、キム同志の偉大な母は安物には決して手を出さず、高級食材のみをスーパーの好意により欲しいだけ持参したバッグに入れていましたが、この無償提供は戦勝国民である韓国人への賠償の一環です。
成長されてからのキム同志は、持てる芸術の才能を活かすべくペンキ屋に勤めましたが、能力を活かし切ることが出来なかったので約半年で辞めました。
その後は世界で最も優秀な民族は太陽に最も近い所で仕事をするべきであると考え、鳶職の会社に就職されましたが、初めての出勤日に自分が高所恐怖症であることに気が付き、ご先祖が両班の出であるご自分がこの様な仕事に従事するのはご先祖様を侮辱することになると気付き、その日の内に退職されました、素晴らしいご決断でした。
続いて歌舞伎町で客引き業に従事されましたが、これは適性が合って成績が良く、同胞であった社長に随分と可愛がられました。
でも、競合店の同業者とは同じ同胞でありながら良い関係を築くことが出来ず、度々諍いを起こすに至りましたが、本来から文化に造詣が深い両班出身であるキム同志は肉体を使っての争いごとが苦手で、何度も同胞から暴力被害を受けることとなりまして、この仕事は3ヶ月で辞めましたが、これ以降は同胞と言えども決して信用しなくなりました。
その次はピンサロの店長の職に就きましたが、収入には恵まれたものの、度重なる警察の手入れの度に逮捕され、複数の前科まで戴く羽目になり、これは割りに合わないと考えて、この仕事は7ヶ月で辞めました。
以後も様々な仕事に従事されて、社会の裏面を熱心に探求されておられ、やがては自費出版ではありますが、本を出そうかとも思慮されておられる様です。
キム同志の偉業について書かねばならない事は未だ多々有りますが、残り行数が少ない為に、今日については此処までとさせて戴きます。
キム同志の登場を鶴首して待たれている皆様に於かれましては、同志の正論に決して過激に反応されること無く、冷静に見守って戴けると同胞としても喜ばしい限りです。
キム同志の育ちは豊かなものでした。
生家は総工費が20億円にもおよぶ大きな橋が屋根になっておりまして、同志の生家の屋根の上を大型ダンプカーやトレーラー等が通過しても決して壊れることが無く、頑丈な建物でした。
屋根の幅は30mにも及び、大雨が降っても濡れることは無く、風通しにも恵まれた環境でした。
庭には大きな川が流れておりまして、庭で魚釣りを楽しむことが出来、幼少の頃から鯉釣りは得意でした。
近所の貧しい平均的な日本人の家では40アンペア程度での電力契約でしたが、キム同志の生家では東京電力の好意とキム同志の偉大な父の命がけでの努力による電柱からの直接続でしたので、「使い放題」でした。
食事にも困らなかった様です。
近所の貧乏人たちがスーパーで安い食料品を探して買い物をしていましたが、キム同志の偉大な母は安物には決して手を出さず、高級食材のみをスーパーの好意により欲しいだけ持参したバッグに入れていましたが、この無償提供は戦勝国民である韓国人への賠償の一環です。
成長されてからのキム同志は、持てる芸術の才能を活かすべくペンキ屋に勤めましたが、能力を活かし切ることが出来なかったので約半年で辞めました。
その後は世界で最も優秀な民族は太陽に最も近い所で仕事をするべきであると考え、鳶職の会社に就職されましたが、初めての出勤日に自分が高所恐怖症であることに気が付き、ご先祖が両班の出であるご自分がこの様な仕事に従事するのはご先祖様を侮辱することになると気付き、その日の内に退職されました、素晴らしいご決断でした。
続いて歌舞伎町で客引き業に従事されましたが、これは適性が合って成績が良く、同胞であった社長に随分と可愛がられました。
でも、競合店の同業者とは同じ同胞でありながら良い関係を築くことが出来ず、度々諍いを起こすに至りましたが、本来から文化に造詣が深い両班出身であるキム同志は肉体を使っての争いごとが苦手で、何度も同胞から暴力被害を受けることとなりまして、この仕事は3ヶ月で辞めましたが、これ以降は同胞と言えども決して信用しなくなりました。
その次はピンサロの店長の職に就きましたが、収入には恵まれたものの、度重なる警察の手入れの度に逮捕され、複数の前科まで戴く羽目になり、これは割りに合わないと考えて、この仕事は7ヶ月で辞めました。
以後も様々な仕事に従事されて、社会の裏面を熱心に探求されておられ、やがては自費出版ではありますが、本を出そうかとも思慮されておられる様です。
キム同志の偉業について書かねばならない事は未だ多々有りますが、残り行数が少ない為に、今日については此処までとさせて戴きます。
キム同志の登場を鶴首して待たれている皆様に於かれましては、同志の正論に決して過激に反応されること無く、冷静に見守って戴けると同胞としても喜ばしい限りです。
これは メッセージ 59595 (eggusando さん)への返信です.
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