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Re: 会津若松の少年犯罪は在日?

投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/05/17 19:49 投稿番号: [55971 / 230347]
会津若松は、戦国大名蘆名氏の黒川城の拠点として、また当時奥州最大の都市として発展を遂げていった。
1589年伊達氏が芦名氏を滅ぼし黒川を新たな本拠地としたが、豊臣秀吉の奥州仕置により黒川は伊達氏から取り上げられ、代わって蒲生氏郷が入封し地名を若松と改めた。
氏郷の死後、上杉景勝が入封するが、関ヶ原の役で徳川家康に敵対して敗れ、米沢へ移封となり、蒲生秀行、加藤嘉明などの領主を経て、1643年に徳川秀忠の隠し子で御落胤の保科正之が入封して会津松平家の祖となり、以後若松は会津藩の城下町として栄えた。三代将軍徳川家光は同母弟、駿河大納言徳川忠直を自害に追い込んだ事で、異母弟正之を引き立てた。その事で会津では徳川宗家の忠節は藩命になる。
1862年会津藩主松平容保は京都守護職に任ぜられ、尊攘派志士の取り締まりや京都の治安維持を担ったが、長州藩をはじめとする倒幕派の恨みを買うことになった。1868年戊辰戦争が勃発すると、会津藩は攻撃の対象とされた。新政府軍は若松城下にまで侵攻し、白虎隊の自刃などの悲劇が起き、城下町の大半が灰燼に帰した。現在でも、市民にとって単に「戦争」と言えば太平洋戦争ではなく会津戦争を指すことが多い。
1869年に若松県が設置され、県庁は大町の融通寺に、後に旧若松城本丸に置かれた。1876年8月21日、若松県、福島県、磐前県が合併し、現在の福島県となる。
1889年4月1日、町村制施行により北会津郡若松町となる。1899年市制施行により若松市として福島県で最初の市となる。同年磐越西線が会津若松駅まで開通する。
1908年第13師団歩兵第65連隊が若松に置かれる。歩兵第65連隊は南京攻略戦などに参加。会津若松市には南京の文字が多い。
先月、南京大学と会津大学の間で相互交流の協定が結ばれる。
南京大学とは旧金陵大学である。つまり、「南京安全区国際委員会」によって難民区難民収容所とされた大学である。南京市民の会津若松市に対する支持によりこの地方大学との協定となった。当事者の都市同士では南京事件など無かったとの認識の上の協定である。
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