Re: マッカーサー回想記
投稿者: rty3657898 投稿日時: 2007/05/04 21:55 投稿番号: [54217 / 230347]
>終戦後先帝は東条のことを、どう思っていたのでしょうか?
先帝は東條に対しては信頼してたが、松岡や田中隆吉には物凄い不信感を持っていた。
「昭和天皇独白録」
『(東條を)被告人として法廷に立たせるのは忍びない』
『元来東条と云ふ人物は、話せばよく判る、それが圧制家の様に評判が立つたのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持が下に伝らなかつたことゝ又憲兵を余りに使ひ過ぎた。
それに、田中隆吉とか富永次官とか、兎角評判のよくない且部下の抑へのきかない者を使つた事も、評判を落した原因であらうと思ふ。
実際は東条も後には部下を抑へ切れなくなつたものと推察する。
東条は一生懸命仕事をやるし、平素云つてゐることも思慮周密で中ゝ良い処があつた』
『東条は平沼から云はれて辞表を提出した。袞龍の袖に隠れるのはいけないと云つて立派に提出したのである。
私は東条に同情してゐるが、強いて弁護しようと云ふのではない、只真相を明かにして置き度いから、之丈云つて置く』
『この進駐は初めから之に反対してゐた松岡は二月の末に独乙に向ひ四月に帰つて来たが、それからは別人の様に非常な独逸びいきになった、恐らくは「ヒトラー」に買収でもされたのではないかと思はれる。
現に帰国した時に私に対して、初めて王侯の様な歓待を受けましたと云つて嬉(喜)んでゐた。一体松岡のやる事は不可解の事が多いゝが彼の性格を呑み込めば了解がつく。彼は他人の立てた計画には常に反対する、又条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持つてゐる』
『松岡はソ聯との中立条約に付て私の処に云つて来た、之は明かに国際信義を無視するもので、こんな大臣は困るから私は近衛に松岡を罷める様に云つたが、近衛は松岡の単独罷免を承知せず、七月に内閣ゝ僚刷新を名として総辞職した…(中略)…彼の言を用ゐなかつたは手柄であつた』
これは メッセージ 54210 (mohayanihonnjinn さん)への返信です.
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