Re:在日は日本を支配できない<同化する
投稿者: k_g_y_7_naoko 投稿日時: 2007/04/04 23:32 投稿番号: [51388 / 230347]
投稿者:直子
私、お仕事でときどき海外へ出かけますけど、様々な人種がミックスしてるお国が結構多いんです。もちろん民族間の根深い対立や文化やマナーの違いによる不信など、多民族混在による緊張や問題はあるけど、これを克服する知恵も経験を通じて培われているようです。この点日本は、私たち日本人が圧倒的多数を占めていますから、日常他の民族のことをほとんど考える必要がないくらい気兼ねナシで生活できます。悪く言えば、他の民族、すなわち外国人に対しては島国ボケしてるって感じ..^^;
これだと、世界に出てさまざまな人たちを理解し、深くお付き合いするのは難しい場合が多いと思います。近年になって多くの自治体が「国際化」(インターナショナライゼーション)なんて言って、さまざまなプログラムを行っています。そんなことで、私が友人である複数の欧米人に「日本はインターナショナライゼーション..」と言いましたら、大笑いされました。未開の国の人が言う言葉だって..^^;
高校一年のとき、ソ連邦崩壊直後の中央アジアの町、キルギスタンのオッシュへ行ったときのことです。オッシュはウズベキスタンとの国境沿いの町で、人口はキルギス人よりウズベク人が多く、だからその帰属をめぐって双方流血の惨事になるほどもめておりました。私たちはウズベク人家族の家に投宿し、その息子さんに夜の町を案内してもらいました。途中、邦夫さんがビールを飲みたいというので道端の食堂に入りました。20人ぐらいのお客さん、それも男性ばかりが2つのグループに分かれて飲食していましたが、みんな店に入ってきた私たちを見ています。「歓迎されていない」と直感しました。さらに悪いことに、この2つのグループ間に怖くなるくらい険悪な空気が流れていることをじきに気付きました。一方はウズベク人のグループ、もう一方はキルギス人のグループだと民宿の息子さんがこっそり教えてくれました。
私たちがはやく食べて出ようとしているとき、それまで私たちに鋭い視線を投げていたプロレスラーのような大男のキルギス人が私たちのテーブルにきてすごむように話しかけてきました。2つのグループ間でも一触即発なほどに緊張が高まっています。私も邦夫さんもキルギス語はわかりませんが、男は怒っているようでした。その時、邦夫さんはロシア語でその男に何か言いました。すると男は驚いたような顔で邦夫さんと私をしげしげと見ています。
まもなく男の手招きでキルギス人グループの何人かが私たちのテーブルにやってきました。これを見たウズベク人のグループからも「何だ、どうした」という顔付きで数人集まってきました。宿の息子さんがここでやっとウズベク人のグループに何やら説明していました。
プロレスラー風の大男は、今度はニコニコしながら立ち上がった邦夫さんを抱擁しています。そして私たちは、キルギス人たちのテーブルに呼ばれました、大男は邦夫さんにビールが入ったジョッキーを渡すと邦夫さんの腕に自分のジョッキーを絡ませて一気に飲み干しました。邦夫さんも同時に一気に飲み干しました。拍手が起こりました。するとウズベク人のグループも今度は我々の番だとばかりに、邦夫さんにビールの入ったジョッキーを渡して一気に飲めとばかりに勧めています。この後は、双方入り乱れての宴会になってしまいました。私には、羊の大きな塩ゆでを「さあ食べなさい」とばかりに勧めます。
邦夫さんがまもなく状況を説明してくれました。キルギス人の大男は、私たちをキルギス人だと思っていたとのことでした。だからウズベク人の宿の息子さんと仲良く飲食していることが気に入らなかったようです。キルギス人は、日本人とそっくりな人が多いんです。とにかく日本人と知って、遠来の客をもてなす遊牧民の習慣なのか、また最初はウズベク人たちに見せびらかす意味もあってか、邦夫さんにビールの一気のみを勧めたそうです。ところがウズベク人たちも状況を知ってまけちゃあいけないとばかりに我々もということになったらしく、そんなことでウズベク人のボス格とキルギス人のボスの大男がお互いに話すきっかけとなって、最後は双方入り乱れて大宴会になっちゃいました。邦夫さんは剣道の寸止めを、私は日本の民謡と踊りを披露しちゃいました..^^;
その後、オッシュで流血の惨事があったとは聞いておりません。
私、お仕事でときどき海外へ出かけますけど、様々な人種がミックスしてるお国が結構多いんです。もちろん民族間の根深い対立や文化やマナーの違いによる不信など、多民族混在による緊張や問題はあるけど、これを克服する知恵も経験を通じて培われているようです。この点日本は、私たち日本人が圧倒的多数を占めていますから、日常他の民族のことをほとんど考える必要がないくらい気兼ねナシで生活できます。悪く言えば、他の民族、すなわち外国人に対しては島国ボケしてるって感じ..^^;
これだと、世界に出てさまざまな人たちを理解し、深くお付き合いするのは難しい場合が多いと思います。近年になって多くの自治体が「国際化」(インターナショナライゼーション)なんて言って、さまざまなプログラムを行っています。そんなことで、私が友人である複数の欧米人に「日本はインターナショナライゼーション..」と言いましたら、大笑いされました。未開の国の人が言う言葉だって..^^;
高校一年のとき、ソ連邦崩壊直後の中央アジアの町、キルギスタンのオッシュへ行ったときのことです。オッシュはウズベキスタンとの国境沿いの町で、人口はキルギス人よりウズベク人が多く、だからその帰属をめぐって双方流血の惨事になるほどもめておりました。私たちはウズベク人家族の家に投宿し、その息子さんに夜の町を案内してもらいました。途中、邦夫さんがビールを飲みたいというので道端の食堂に入りました。20人ぐらいのお客さん、それも男性ばかりが2つのグループに分かれて飲食していましたが、みんな店に入ってきた私たちを見ています。「歓迎されていない」と直感しました。さらに悪いことに、この2つのグループ間に怖くなるくらい険悪な空気が流れていることをじきに気付きました。一方はウズベク人のグループ、もう一方はキルギス人のグループだと民宿の息子さんがこっそり教えてくれました。
私たちがはやく食べて出ようとしているとき、それまで私たちに鋭い視線を投げていたプロレスラーのような大男のキルギス人が私たちのテーブルにきてすごむように話しかけてきました。2つのグループ間でも一触即発なほどに緊張が高まっています。私も邦夫さんもキルギス語はわかりませんが、男は怒っているようでした。その時、邦夫さんはロシア語でその男に何か言いました。すると男は驚いたような顔で邦夫さんと私をしげしげと見ています。
まもなく男の手招きでキルギス人グループの何人かが私たちのテーブルにやってきました。これを見たウズベク人のグループからも「何だ、どうした」という顔付きで数人集まってきました。宿の息子さんがここでやっとウズベク人のグループに何やら説明していました。
プロレスラー風の大男は、今度はニコニコしながら立ち上がった邦夫さんを抱擁しています。そして私たちは、キルギス人たちのテーブルに呼ばれました、大男は邦夫さんにビールが入ったジョッキーを渡すと邦夫さんの腕に自分のジョッキーを絡ませて一気に飲み干しました。邦夫さんも同時に一気に飲み干しました。拍手が起こりました。するとウズベク人のグループも今度は我々の番だとばかりに、邦夫さんにビールの入ったジョッキーを渡して一気に飲めとばかりに勧めています。この後は、双方入り乱れての宴会になってしまいました。私には、羊の大きな塩ゆでを「さあ食べなさい」とばかりに勧めます。
邦夫さんがまもなく状況を説明してくれました。キルギス人の大男は、私たちをキルギス人だと思っていたとのことでした。だからウズベク人の宿の息子さんと仲良く飲食していることが気に入らなかったようです。キルギス人は、日本人とそっくりな人が多いんです。とにかく日本人と知って、遠来の客をもてなす遊牧民の習慣なのか、また最初はウズベク人たちに見せびらかす意味もあってか、邦夫さんにビールの一気のみを勧めたそうです。ところがウズベク人たちも状況を知ってまけちゃあいけないとばかりに我々もということになったらしく、そんなことでウズベク人のボス格とキルギス人のボスの大男がお互いに話すきっかけとなって、最後は双方入り乱れて大宴会になっちゃいました。邦夫さんは剣道の寸止めを、私は日本の民謡と踊りを披露しちゃいました..^^;
その後、オッシュで流血の惨事があったとは聞いておりません。
これは メッセージ 51379 (aiming_scratch さん)への返信です.
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