かつての同盟国、ドイツの不運と悲惨
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/03/27 18:57 投稿番号: [50879 / 230347]
戦後、米国は、日本の三菱重工等から、大型プレス機等を接収して本国に持ち去りましたが、数は限られています。船舶で運ぶのには限度があるからです。鉄道が米国や台湾、中国、ロシアと繋がっていなかったのは、不幸中の幸いでした。戦後賠償を『日本の生産物と役務による支払い』とする等、知恵と工夫でうまく切り抜けました。
一方のドイツは、対称的に、あまりにも悲惨でした。
敵国と地続きであり、占領に入った連合国、英仏、東欧、ロシア等によって、あらん限りのものを接収され、さらに、枢要な企業は、各国の軍が勝手に管理、57年頃まで経営権すら奪われました。
ベンツ、BMW、マンネスマン、ティッセン、クルップ等も、工場施設、プレス機等の重機械もすべて米英仏その他連合国に持ち去られ、戦中の爆撃被害を遙かに上回る資産略奪に遭って、苦心惨憺して再建。
鉄道で繋がる欧州だけに、西は主に英仏によって、東ドイツは東欧、ロシアによって、丸で、蟻にたかる砂糖の如き存在とされて、施設だけでなく、航空、ロケット、光学、造船等は、従業員ごと連れ去られたところも少なくありません。
さらに、米英仏、東欧、スイスが中心になって、ドイツの全商船、工業特許、生産石炭、鉄道列車・貨車の8割、海外資産の全てを一方的に没収し、まったく協議もないまま、山分けしました。国土も、およそ3分の1を奪われました。
フォルクスワーゲンの会長であり、ポルシェ博士と親戚の関係にあるピエヒ博士は、10年程前のインタビューで、『戦後のドイツの再建は、絶対に悔し涙を流さずには語れない』と言っています。
労働力の不足も甚だしく、戦後、数年間にわたった、米英仏・連合国諸国のドイツ軍捕虜の扱いは悲惨そのもので、少なくとも、5万人以上のドイツ兵が野ざらしの収容施設の中で亡くなりましたが、これも、正確な被害調査すら行われていません。また、東欧地域等からの帰還難民を襲った悲劇は、旧満州の日本人の比ではありません。
医療施設、あらゆる資材、美術品等も略奪の限りに会って、軒並み、海外に姿を消しました。これは、ほぼドイツ全土で、1950年頃まで続きました。
皆さんは、ベルリンからベルギーまで、或いは、デュッセルドルフ、フランクフルトまで、ドイツを横断する格好で、鉄道に乗った事があるでしょうか?
ドイツの黒い森とよく言いますが、列車から見えるのは、ただっ広い野原や森のない小山、丘ばかりです。森など、ごく一部です。あたかも、草原地帯のように続く、野原と農地ばかり。何故か?
英仏、ロシア、東欧諸国等の軍や組織が、戦後7年以上にわたって、ドイツ全土を例外なく、伐採出来るものは、ドイツ兵捕虜を酷使して、ことごとく伐採して持ち出したからです。鉄道沿いの乱伐被害は特に激しく、今でも野原のままになっているところが殆どです。
戦後、数年して、英仏両国や東欧諸国から、賠償、謝罪要求が相次ぎましたが、ドイツ政府、ドイツ大蔵省は、
連合軍によって略奪された資産、海外資産、森林、石炭等の資源の損害を計算し、まず、以下の内容で事前交渉を提案しました。
『最低限の計算でも、被害総額は、軽く2000億マルクを超える。少なくとも、連合軍の賠償請求合計額の3倍に達する。
我が国は、各国が文明国であると信じ、賠償請求額を上回る分については、返還支払いを請求したい。』
英仏等が、相次いで、賠償請求の放棄と、戦後処理の一切の終了(棚上げ)を一方的に発表し始めるのは、その翌週からです。
一次、二次大戦と、二度にわたり略奪被害を被ったドイツ。東欧諸国は、今も賠償請求を口にしますが、ドイツ人が一銭たりとも払いたがらないのは、当然でしょう。
それでも、ドイツは連邦法に沿って、ユダヤ人を主な対象に、個人補償として、数兆円を費しています。
ドイツの戦後の被害、賠償に関しては、その悲惨さは、日本と比べようもありません。
私は、かつての同盟国でもあり、戦友国でもあるドイツについて(善し悪しとか、間違いだったかどうかとか低レベルの話しはどうでもいい)は、深く同情しています。
また、ドイツは、日本と違い、スターリングラード以降のそれぞれの激戦地、フランスでの激戦地での遺骨収集なども、ほぼ、まったく行えない立場のままです。
一方のドイツは、対称的に、あまりにも悲惨でした。
敵国と地続きであり、占領に入った連合国、英仏、東欧、ロシア等によって、あらん限りのものを接収され、さらに、枢要な企業は、各国の軍が勝手に管理、57年頃まで経営権すら奪われました。
ベンツ、BMW、マンネスマン、ティッセン、クルップ等も、工場施設、プレス機等の重機械もすべて米英仏その他連合国に持ち去られ、戦中の爆撃被害を遙かに上回る資産略奪に遭って、苦心惨憺して再建。
鉄道で繋がる欧州だけに、西は主に英仏によって、東ドイツは東欧、ロシアによって、丸で、蟻にたかる砂糖の如き存在とされて、施設だけでなく、航空、ロケット、光学、造船等は、従業員ごと連れ去られたところも少なくありません。
さらに、米英仏、東欧、スイスが中心になって、ドイツの全商船、工業特許、生産石炭、鉄道列車・貨車の8割、海外資産の全てを一方的に没収し、まったく協議もないまま、山分けしました。国土も、およそ3分の1を奪われました。
フォルクスワーゲンの会長であり、ポルシェ博士と親戚の関係にあるピエヒ博士は、10年程前のインタビューで、『戦後のドイツの再建は、絶対に悔し涙を流さずには語れない』と言っています。
労働力の不足も甚だしく、戦後、数年間にわたった、米英仏・連合国諸国のドイツ軍捕虜の扱いは悲惨そのもので、少なくとも、5万人以上のドイツ兵が野ざらしの収容施設の中で亡くなりましたが、これも、正確な被害調査すら行われていません。また、東欧地域等からの帰還難民を襲った悲劇は、旧満州の日本人の比ではありません。
医療施設、あらゆる資材、美術品等も略奪の限りに会って、軒並み、海外に姿を消しました。これは、ほぼドイツ全土で、1950年頃まで続きました。
皆さんは、ベルリンからベルギーまで、或いは、デュッセルドルフ、フランクフルトまで、ドイツを横断する格好で、鉄道に乗った事があるでしょうか?
ドイツの黒い森とよく言いますが、列車から見えるのは、ただっ広い野原や森のない小山、丘ばかりです。森など、ごく一部です。あたかも、草原地帯のように続く、野原と農地ばかり。何故か?
英仏、ロシア、東欧諸国等の軍や組織が、戦後7年以上にわたって、ドイツ全土を例外なく、伐採出来るものは、ドイツ兵捕虜を酷使して、ことごとく伐採して持ち出したからです。鉄道沿いの乱伐被害は特に激しく、今でも野原のままになっているところが殆どです。
戦後、数年して、英仏両国や東欧諸国から、賠償、謝罪要求が相次ぎましたが、ドイツ政府、ドイツ大蔵省は、
連合軍によって略奪された資産、海外資産、森林、石炭等の資源の損害を計算し、まず、以下の内容で事前交渉を提案しました。
『最低限の計算でも、被害総額は、軽く2000億マルクを超える。少なくとも、連合軍の賠償請求合計額の3倍に達する。
我が国は、各国が文明国であると信じ、賠償請求額を上回る分については、返還支払いを請求したい。』
英仏等が、相次いで、賠償請求の放棄と、戦後処理の一切の終了(棚上げ)を一方的に発表し始めるのは、その翌週からです。
一次、二次大戦と、二度にわたり略奪被害を被ったドイツ。東欧諸国は、今も賠償請求を口にしますが、ドイツ人が一銭たりとも払いたがらないのは、当然でしょう。
それでも、ドイツは連邦法に沿って、ユダヤ人を主な対象に、個人補償として、数兆円を費しています。
ドイツの戦後の被害、賠償に関しては、その悲惨さは、日本と比べようもありません。
私は、かつての同盟国でもあり、戦友国でもあるドイツについて(善し悪しとか、間違いだったかどうかとか低レベルの話しはどうでもいい)は、深く同情しています。
また、ドイツは、日本と違い、スターリングラード以降のそれぞれの激戦地、フランスでの激戦地での遺骨収集なども、ほぼ、まったく行えない立場のままです。
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