日韓併合条約 - 国際法学からの考察
投稿者: k_g_y_7_naoko 投稿日時: 2007/01/15 23:21 投稿番号: [45956 / 230347]
>当初、日本は、儒教の知識と西欧の自然法の観念を結び付けて、「万国公法」を「正義公道之法」あるいは「至当公平之法」と理解していた11。しかし、日本が近代国際法に出会った19世紀は「自然法の時代」(全人類に共通する普遍的法)から「意思国際法の時代」あるいは「実定法の時代」(妥当範囲を文明国に限定する法)へと移行し、国際法の妥当範囲が文明国概念によって制限される時代になっていた12。さらに「慣習法の時代」から「条約国際法の時代」に移行し、国際関係を規律するために条約が多用されるようになっていた13。しかも、国家それ自体に対する強制によって締結された条約であっても、かかる同意は国家の意思の表明とみなされていた。英国外交官オールコックの言葉を借りれば、「コンスタンチノープルから江戸にいたる東洋の諸政府とかつて結ばれたすべての条約は、武力ないしそれに相当するものによって強要された14」ものであった。
ペリーの砲艦外交による安政の5カ国条約のような不平等条約の締結もかかる法理によってはじめて可能であった。かかる不平等条約の存在が、国際関係における「力」の支配の優越というイメージを強化する根拠となったことは想像に難くない。岩倉使節団として、不平等条約の改正を拒む列強との交渉に失敗したとき、使節団を構成した岩倉や木戸が、「正義公道之法」から「強国が弱国を奪う道具」という国際法認識に転換するのは、ある意味で、容易であった。 かかる経験を通して、明治の政策決定者は国力の増強の必要性を認識するとともに、「力」の信奉者となって行く。
他方で、脱亜入欧を旗印に、後発の近代国家として国力の増強をめざす日本にとって、近代化に乗り遅れた隣国韓国は格好の帝国主義実践の舞台であった。このようにして日本は、韓国よりも早く国際法を受容し、列強との条約締結の実践を通じて、近代国際法の知識を獲得できたのである15。雲揚号事件により韓国の開国を求める際、日本と韓国との間には、かつてのペリー来航の際の米国と日本のような国際法に対する知識の格差が生じていた。日韓の一連の旧条約の締結は、こうした構造の中で展開されたのである。もちろん、韓国と日本を隔てたのは、こうした国際法に対する知識のみでなく、軍事力を中心とした国力の相違であったことは、紛れもない事実である<
以下、全文です。関心あるお方は、一読の価値があります、とおもいます:
http://www.jkcf.or.jp/history/3/01-0j_sakamoto_j.pdf
日韓歴史共同研究委員会報告書から坂元茂樹先生の知見です。
直子
ペリーの砲艦外交による安政の5カ国条約のような不平等条約の締結もかかる法理によってはじめて可能であった。かかる不平等条約の存在が、国際関係における「力」の支配の優越というイメージを強化する根拠となったことは想像に難くない。岩倉使節団として、不平等条約の改正を拒む列強との交渉に失敗したとき、使節団を構成した岩倉や木戸が、「正義公道之法」から「強国が弱国を奪う道具」という国際法認識に転換するのは、ある意味で、容易であった。 かかる経験を通して、明治の政策決定者は国力の増強の必要性を認識するとともに、「力」の信奉者となって行く。
他方で、脱亜入欧を旗印に、後発の近代国家として国力の増強をめざす日本にとって、近代化に乗り遅れた隣国韓国は格好の帝国主義実践の舞台であった。このようにして日本は、韓国よりも早く国際法を受容し、列強との条約締結の実践を通じて、近代国際法の知識を獲得できたのである15。雲揚号事件により韓国の開国を求める際、日本と韓国との間には、かつてのペリー来航の際の米国と日本のような国際法に対する知識の格差が生じていた。日韓の一連の旧条約の締結は、こうした構造の中で展開されたのである。もちろん、韓国と日本を隔てたのは、こうした国際法に対する知識のみでなく、軍事力を中心とした国力の相違であったことは、紛れもない事実である<
以下、全文です。関心あるお方は、一読の価値があります、とおもいます:
http://www.jkcf.or.jp/history/3/01-0j_sakamoto_j.pdf
日韓歴史共同研究委員会報告書から坂元茂樹先生の知見です。
直子
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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