終戦直後の南鮮は無政府状態で地獄だった
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/01/07 22:34 投稿番号: [45200 / 230347]
『振り返って考えてみれば,日本の敗戦後朝鮮半島では,このような殺害劇がたくさん発生しただろうと思われる。日本の無条件降伏以後,北韓地域にはソ連軍がすばやく進駐し,軍政を敷いたが,南韓に米軍が上陸したのは9月中旬だった。したがって,約1カ月程度,南韓地域には無政府状態が続いた期間があった。韓半島には,さまざまな理由で日本人とそれに加担した者たちに恨みを抱く朝鮮人たちが多かったろうし,彼らは日本人を殺し,財産を強奪し,日本女性を強姦しただろうと思われる。
問題は,韓国社会において,朝鮮人によってほしいままにされたこのような虐殺と残酷な行為はまったく知られておらず,また調査されたこともなく,われわれが受けた被害だけは,繰り返し強調されているという点だ。
日本が戦争に負けるやいなや,素知らぬ顔で,まるで自分たちが戦勝国にでもなったかのごとく,日本を呪詛し,彼らの財産を奪い,虐殺した行為は,明らかに人倫に悖る犯罪行為にほかならない。このようにして日本人をすべて追放したあと,南韓国と北韓国の政府は,強奪した日本人の土地と工場を「敵産」と呼び,堂々と山分けした。』(金完燮)
http://kankokufubai.150m.com/jittai.htm
『(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。
京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。
ほとんど、どの駐在所からも巡査が姿を消してしまった。駐在巡査の大部分は朝鮮人であったが、職場を守ろうにも、大勢で襲撃されるので2人や3人では守っていられなくなった。・・・・。泥棒はたいていピストルか刃物を持っているので、街々にはあちらでも、こちらでも、たまげるような悲鳴が起こった。
「助けて!」と呼んでも呼んでも、誰も表へ出るものがなかった。日本人はもう互いに助け合わないと知ると、今度は3人、5人と組む集団強盗が横行した。
(その後の米軍進駐後も) 米軍の保護は、少しも日本人には及ばなかった。
日本人がどんな被害を受けても、それを取り調べようともしない。
引揚げ列車といっても貨車にむしろをひいたものである。隙間から研ぎ澄ました刃のような寒風が入るのである… 危険なのは、途中で汽車をすめることである。
停車すると、たちまち群衆が押し寄せて金をせびり、女を引きずり出そうとした。
駅前で用を足している間に、最後の財産であるトランクを盗まれてしまった人もあった。
「それは僕のものだ」と言い寄ると、その男は「ナニッ!なんの証拠があって、そんな言い掛かりをつけるのか」とつかみ掛かるのであった。
群集が、「なんだ、なんだ」と取り囲むと、打つ、殴る、蹴るの狼藉。――たちまち、顔も手も血と泥にまみれて動かなくなってしまった。』
http://didisama.tripod.com/didi/rekisi2.htm
つまり、総督府が健在だった等という荒唐無稽な事実はまったくなく、
当時の南鮮は、北朝鮮同様、無政府状態であり、
警察も機能しておらず、米軍も日本人は守っておらず、朝鮮人暴徒が、警察官を殺しまくるなど、乱暴狼藉の限りを尽くし、
好きなように日本人を集団で襲撃し、日本人女性を引きずり出して暴行していた。
平穏どころか、当時の京城は、北朝鮮同様、朝鮮人による無法行為、乱暴狼藉の限りにより、日本人にとって地獄と化していた。
そういう事ですね!
問題は,韓国社会において,朝鮮人によってほしいままにされたこのような虐殺と残酷な行為はまったく知られておらず,また調査されたこともなく,われわれが受けた被害だけは,繰り返し強調されているという点だ。
日本が戦争に負けるやいなや,素知らぬ顔で,まるで自分たちが戦勝国にでもなったかのごとく,日本を呪詛し,彼らの財産を奪い,虐殺した行為は,明らかに人倫に悖る犯罪行為にほかならない。このようにして日本人をすべて追放したあと,南韓国と北韓国の政府は,強奪した日本人の土地と工場を「敵産」と呼び,堂々と山分けした。』(金完燮)
http://kankokufubai.150m.com/jittai.htm
『(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。
京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。
ほとんど、どの駐在所からも巡査が姿を消してしまった。駐在巡査の大部分は朝鮮人であったが、職場を守ろうにも、大勢で襲撃されるので2人や3人では守っていられなくなった。・・・・。泥棒はたいていピストルか刃物を持っているので、街々にはあちらでも、こちらでも、たまげるような悲鳴が起こった。
「助けて!」と呼んでも呼んでも、誰も表へ出るものがなかった。日本人はもう互いに助け合わないと知ると、今度は3人、5人と組む集団強盗が横行した。
(その後の米軍進駐後も) 米軍の保護は、少しも日本人には及ばなかった。
日本人がどんな被害を受けても、それを取り調べようともしない。
引揚げ列車といっても貨車にむしろをひいたものである。隙間から研ぎ澄ました刃のような寒風が入るのである… 危険なのは、途中で汽車をすめることである。
停車すると、たちまち群衆が押し寄せて金をせびり、女を引きずり出そうとした。
駅前で用を足している間に、最後の財産であるトランクを盗まれてしまった人もあった。
「それは僕のものだ」と言い寄ると、その男は「ナニッ!なんの証拠があって、そんな言い掛かりをつけるのか」とつかみ掛かるのであった。
群集が、「なんだ、なんだ」と取り囲むと、打つ、殴る、蹴るの狼藉。――たちまち、顔も手も血と泥にまみれて動かなくなってしまった。』
http://didisama.tripod.com/didi/rekisi2.htm
つまり、総督府が健在だった等という荒唐無稽な事実はまったくなく、
当時の南鮮は、北朝鮮同様、無政府状態であり、
警察も機能しておらず、米軍も日本人は守っておらず、朝鮮人暴徒が、警察官を殺しまくるなど、乱暴狼藉の限りを尽くし、
好きなように日本人を集団で襲撃し、日本人女性を引きずり出して暴行していた。
平穏どころか、当時の京城は、北朝鮮同様、朝鮮人による無法行為、乱暴狼藉の限りにより、日本人にとって地獄と化していた。
そういう事ですね!
これは メッセージ 45197 (superdreadnote さん)への返信です.
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