Re: 終戦直後の南鮮、朝鮮人に襲撃される日
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/01/07 15:31 投稿番号: [45154 / 230347]
笑いましたよ。あはは、と。
>あなたの何かの引用に米兵が出てくることでそれが分かる。
しかし、日本が連合軍に降伏したのは、1945年8月15日ですよ。
それから、朝鮮の日本軍が米軍に降伏した9月9日までは、朝鮮の日本軍は健在だった。
そして、総督府は米軍から、8月17日に「米軍が来るまで引き続き朝鮮を統治せよ」と
指示を受けていた。
>南韓に米軍が上陸したのは9月中旬だった。したがって,約1カ月程度,南
>韓地域には無政府状態が続いた期間があった。韓半島には,さまざまな理由
>で日本人とそれに加担した者たちに恨みを抱く朝鮮人たちが多かったろう
>し,彼らは日本人を殺し,財産を強奪し,日本女性を強姦しただろうと思わ
>れる。
↑
従って、上のようなことはありえない。
あなたも、今日の別の投稿で言ってるではないか?<
私の一番最初の投稿を、何故?わざわざ、無視して書かれるんでしょうかね?(苦笑)
>『夜明けの舞台裏 中保与作(元京城日報主筆) (灰色文字は管理人注)
(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。ほとんど、どの駐在所からも巡査が姿を消してしまった。駐在巡査の大部分は朝鮮人であったが、職場を守ろうにも、大勢で襲撃されるので2人や3人では守っていられなくなったのである。このように警察が力を失い出した矢先、安在鴻の放送があった(朝鮮の建国準備委員会が政治の実権を握ったかのように放送した)ので日本人に日頃恨みを抱く者や泥棒は、この時とばかり、目ぼしい日本人の家へ押しかけた。泥棒はたいていピストルか刃物を持っているので、街々にはあちらでも、こちらでも、たまげるような悲鳴が起こった。「助けて!」と呼んでも呼んでも、誰も表へ出るものがなかった。日本人はもう互いに助け合わないと知ると、今度は3人、5人と組む集団強盗が横行した。
(中略)
(米軍進駐後、筆者の勤める京城日報社は米軍の管理下に置かれることになった)米軍政府は間もなく朝鮮人李相哲を管理人に指名した。江原道で鉱山の仕事をしていた李にこうした任務を与えたのは、米軍政長官の側近にいる知り合いの旧宣教師が斡旋したからであると言われた。「あなた方は、運悪く、とんでもない悪党に、管理されることになりましたね」と李の甥にあたる、毎日申報幹部が私たちに同情した。(中略)当時の米軍政庁は、英語さえできれば、どんな朝鮮人でも重用し、一々その言うことに従った。一般の朝鮮人はそれを「通訳政治」だといってあざ笑った。英語を話したり、米軍に好意を寄せるものは、たいてい極端な反日家である。これらの人々は、何事につけ、日本人を極悪非道の人間に印象づけようとし、朝鮮にある日本人の財産は全て搾取し略奪したものであると言い続けたのである』
『(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。』
終戦発表とともに、米軍進駐前に、朝鮮人は、まず、警察を狙い、銃器で襲撃、警察官を多数殺害し、その後、一般の日本人を襲撃し始める・・・
おぞましいですね!
『(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。』
日本語で、『終戦とともに』といえば、8月15日から、公然と、ということではないんですか?
ともに、とあって、米軍の話しが出てこないのに(当然ですね)、どうして、そこが、一ヶ月後の話しになって、何故、米軍が来るまでは平穏だったことになるんでしょうかね?
銃器を持ち出したのは、脱柵した朝鮮兵ではないのですか(笑)?
>あなたの何かの引用に米兵が出てくることでそれが分かる。
しかし、日本が連合軍に降伏したのは、1945年8月15日ですよ。
それから、朝鮮の日本軍が米軍に降伏した9月9日までは、朝鮮の日本軍は健在だった。
そして、総督府は米軍から、8月17日に「米軍が来るまで引き続き朝鮮を統治せよ」と
指示を受けていた。
>南韓に米軍が上陸したのは9月中旬だった。したがって,約1カ月程度,南
>韓地域には無政府状態が続いた期間があった。韓半島には,さまざまな理由
>で日本人とそれに加担した者たちに恨みを抱く朝鮮人たちが多かったろう
>し,彼らは日本人を殺し,財産を強奪し,日本女性を強姦しただろうと思わ
>れる。
↑
従って、上のようなことはありえない。
あなたも、今日の別の投稿で言ってるではないか?<
私の一番最初の投稿を、何故?わざわざ、無視して書かれるんでしょうかね?(苦笑)
>『夜明けの舞台裏 中保与作(元京城日報主筆) (灰色文字は管理人注)
(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。ほとんど、どの駐在所からも巡査が姿を消してしまった。駐在巡査の大部分は朝鮮人であったが、職場を守ろうにも、大勢で襲撃されるので2人や3人では守っていられなくなったのである。このように警察が力を失い出した矢先、安在鴻の放送があった(朝鮮の建国準備委員会が政治の実権を握ったかのように放送した)ので日本人に日頃恨みを抱く者や泥棒は、この時とばかり、目ぼしい日本人の家へ押しかけた。泥棒はたいていピストルか刃物を持っているので、街々にはあちらでも、こちらでも、たまげるような悲鳴が起こった。「助けて!」と呼んでも呼んでも、誰も表へ出るものがなかった。日本人はもう互いに助け合わないと知ると、今度は3人、5人と組む集団強盗が横行した。
(中略)
(米軍進駐後、筆者の勤める京城日報社は米軍の管理下に置かれることになった)米軍政府は間もなく朝鮮人李相哲を管理人に指名した。江原道で鉱山の仕事をしていた李にこうした任務を与えたのは、米軍政長官の側近にいる知り合いの旧宣教師が斡旋したからであると言われた。「あなた方は、運悪く、とんでもない悪党に、管理されることになりましたね」と李の甥にあたる、毎日申報幹部が私たちに同情した。(中略)当時の米軍政庁は、英語さえできれば、どんな朝鮮人でも重用し、一々その言うことに従った。一般の朝鮮人はそれを「通訳政治」だといってあざ笑った。英語を話したり、米軍に好意を寄せるものは、たいてい極端な反日家である。これらの人々は、何事につけ、日本人を極悪非道の人間に印象づけようとし、朝鮮にある日本人の財産は全て搾取し略奪したものであると言い続けたのである』
『(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。』
終戦発表とともに、米軍進駐前に、朝鮮人は、まず、警察を狙い、銃器で襲撃、警察官を多数殺害し、その後、一般の日本人を襲撃し始める・・・
おぞましいですね!
『(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。』
日本語で、『終戦とともに』といえば、8月15日から、公然と、ということではないんですか?
ともに、とあって、米軍の話しが出てこないのに(当然ですね)、どうして、そこが、一ヶ月後の話しになって、何故、米軍が来るまでは平穏だったことになるんでしょうかね?
銃器を持ち出したのは、脱柵した朝鮮兵ではないのですか(笑)?
これは メッセージ 45149 (superdreadnote さん)への返信です.
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