Re: 終戦直後の南鮮、朝鮮人に襲撃される日
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/01/07 09:58 投稿番号: [45122 / 230347]
>私見ですが、このようなことは南ではあまり無かっただろうと、思われます。
>ぜならば南には完全武装の日本軍が健在であり、また総督府も健在でした。したがつて、警察も機能しており、暴徒が乱暴狼藉を出来るわけがありません。
>GHQは、米軍が上陸してくるまで、総督府が引き続き、朝鮮(南半分だけだが)を統治するように指示しており、総督府が健在である限りは、無法状態、無政府状態ではなかったはずです。
その証拠には、総督府はまったくいつものように存在し、米軍の到着までソウルは全く平穏だったそうです。
>また、満州からの難民は38度線へ、38度線へと死の行進を続けましたが、それは38度線を越えれば安全だったからです。
このような発言があり、あまりにも不自然な話しで、それで、敢えて投稿したわけですが?
終戦が明らかになった日から、朝鮮人の乱暴狼藉が始まり、多数の犠牲者が出た事は、中保与作(元京城日報主筆)氏の証言だけでも明らかでしょう。
『(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。ほとんど、どの駐在所からも巡査が姿を消してしまった。駐在巡査の大部分は朝鮮人であったが、職場を守ろうにも、大勢で襲撃されるので2人や3人では守っていられなくなった。・・・・。泥棒はたいていピストルか刃物を持っているので、街々にはあちらでも、こちらでも、たまげるような悲鳴が起こった。「助けて!」と呼んでも呼んでも、誰も表へ出るものがなかった。日本人はもう互いに助け合わないと知ると、今度は3人、5人と組む集団強盗が横行した。
米軍の保護は、少しも日本人には及ばなかった。
日本人がどんな被害を受けても、それを取り調べようともしない。
引揚げ列車といっても貨車にむしろをひいたものである。隙間から研ぎ澄ました刃のような寒風が入るのである… 危険なのは、途中で汽車をすめることである。
停車すると、たちまち群衆が押し寄せて金をせびり、女を引きずり出そうとした。
駅前で用を足している間に、最後の財産であるトランクを盗まれてしまった人もあった。
「それは僕のものだ」と言い寄ると、その男は「ナニッ!なんの証拠があって、そんな言い掛かりをつけるのか」とつかみ掛かるのであった。
群集が、「なんだ、なんだ」と取り囲むと、打つ、殴る、蹴るの狼藉。――たちまち、顔も手も血と泥にまみれて動かなくなってしまった。』
http://didisama.tripod.com/didi/rekisi2.htm
これだけでも、十分かと思いますが(笑)、・・・・・
>強姦が無かったとは言いませんが、引き上げまで、何人の日本人が殺されたのでしょうか?書かれていることは、敗戦国では起きることです。
果たして、何人の日本人が虐殺されたのでしょうか? 南からは日本人はほぼ完全に引き上げているはずですよ。<
う〜ん?最初は、>警察も機能しており、暴徒が乱暴狼藉を出来るわけがありません。<
そう言っていたいのに、突如、強姦がなかったとは言わない? 書かれている事は敗戦国では起きる事です?
>そういうことは、何回も聞きました。
ですから、終戦直後の南で何人の日本人が殺されたのですか? これを聞いているのですがね。<
何回も聞いたのに? 初めの投稿では(笑)、
>南には完全武装の日本軍が健在であり、また総督府も健在でした。したがつて、警察も機能しており、暴徒が乱暴狼藉を出来るわけがありません。
>総督府が健在である限りは、無法状態、無政府状態ではなかったはずです。
>その証拠には、総督府はまったくいつものように存在し、米軍の到着までソウルは全く平穏だったそうです。
>また、満州からの難民は38度線へ、38度線へと死の行進を続けましたが、それは38度線を越えれば安全だったからです。<
私が投稿したキッカケになった、上記の投稿と辻褄が合いませんね?
敗戦国ではよくあることだ? そんなことは何回も聞きました?
では、最初の投稿の
>警察も機能しており、暴徒が乱暴狼藉を出来るわけがありません<
というのは、どういう事だったんでしょうか?
あまり意見を変えられても、同じ人間だろうか!?と、とまどってしまいます(笑)。
>ぜならば南には完全武装の日本軍が健在であり、また総督府も健在でした。したがつて、警察も機能しており、暴徒が乱暴狼藉を出来るわけがありません。
>GHQは、米軍が上陸してくるまで、総督府が引き続き、朝鮮(南半分だけだが)を統治するように指示しており、総督府が健在である限りは、無法状態、無政府状態ではなかったはずです。
その証拠には、総督府はまったくいつものように存在し、米軍の到着までソウルは全く平穏だったそうです。
>また、満州からの難民は38度線へ、38度線へと死の行進を続けましたが、それは38度線を越えれば安全だったからです。
このような発言があり、あまりにも不自然な話しで、それで、敢えて投稿したわけですが?
終戦が明らかになった日から、朝鮮人の乱暴狼藉が始まり、多数の犠牲者が出た事は、中保与作(元京城日報主筆)氏の証言だけでも明らかでしょう。
『(終戦とともに)朝鮮人は、全鮮各地で、公然と日本の諸機関や日本人の財産の接収を始めだした。京城では、総督府に近い中心の鍾路をはじめ幾つもの警察署が朝鮮人の手に帰した。ピストルを狙って襲撃する者もある。警察官にも襲撃者側にもぞくぞく死傷者が出た。ほとんど、どの駐在所からも巡査が姿を消してしまった。駐在巡査の大部分は朝鮮人であったが、職場を守ろうにも、大勢で襲撃されるので2人や3人では守っていられなくなった。・・・・。泥棒はたいていピストルか刃物を持っているので、街々にはあちらでも、こちらでも、たまげるような悲鳴が起こった。「助けて!」と呼んでも呼んでも、誰も表へ出るものがなかった。日本人はもう互いに助け合わないと知ると、今度は3人、5人と組む集団強盗が横行した。
米軍の保護は、少しも日本人には及ばなかった。
日本人がどんな被害を受けても、それを取り調べようともしない。
引揚げ列車といっても貨車にむしろをひいたものである。隙間から研ぎ澄ました刃のような寒風が入るのである… 危険なのは、途中で汽車をすめることである。
停車すると、たちまち群衆が押し寄せて金をせびり、女を引きずり出そうとした。
駅前で用を足している間に、最後の財産であるトランクを盗まれてしまった人もあった。
「それは僕のものだ」と言い寄ると、その男は「ナニッ!なんの証拠があって、そんな言い掛かりをつけるのか」とつかみ掛かるのであった。
群集が、「なんだ、なんだ」と取り囲むと、打つ、殴る、蹴るの狼藉。――たちまち、顔も手も血と泥にまみれて動かなくなってしまった。』
http://didisama.tripod.com/didi/rekisi2.htm
これだけでも、十分かと思いますが(笑)、・・・・・
>強姦が無かったとは言いませんが、引き上げまで、何人の日本人が殺されたのでしょうか?書かれていることは、敗戦国では起きることです。
果たして、何人の日本人が虐殺されたのでしょうか? 南からは日本人はほぼ完全に引き上げているはずですよ。<
う〜ん?最初は、>警察も機能しており、暴徒が乱暴狼藉を出来るわけがありません。<
そう言っていたいのに、突如、強姦がなかったとは言わない? 書かれている事は敗戦国では起きる事です?
>そういうことは、何回も聞きました。
ですから、終戦直後の南で何人の日本人が殺されたのですか? これを聞いているのですがね。<
何回も聞いたのに? 初めの投稿では(笑)、
>南には完全武装の日本軍が健在であり、また総督府も健在でした。したがつて、警察も機能しており、暴徒が乱暴狼藉を出来るわけがありません。
>総督府が健在である限りは、無法状態、無政府状態ではなかったはずです。
>その証拠には、総督府はまったくいつものように存在し、米軍の到着までソウルは全く平穏だったそうです。
>また、満州からの難民は38度線へ、38度線へと死の行進を続けましたが、それは38度線を越えれば安全だったからです。<
私が投稿したキッカケになった、上記の投稿と辻褄が合いませんね?
敗戦国ではよくあることだ? そんなことは何回も聞きました?
では、最初の投稿の
>警察も機能しており、暴徒が乱暴狼藉を出来るわけがありません<
というのは、どういう事だったんでしょうか?
あまり意見を変えられても、同じ人間だろうか!?と、とまどってしまいます(笑)。
これは メッセージ 45115 (superdreadnote さん)への返信です.
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