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終戦直後の南鮮、朝鮮人に襲撃される日本人

投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/01/06 21:56 投稿番号: [45091 / 230347]
>また、満州からの難民は38度線へ、38度線へと死の行進を続けましたが、
それは38度線を越えれば安全だったからです。<


『機関手や車掌が3万円、5万円というチップ要求し、誰もそれを出さぬと、「機関車が故障を起こした」といって山中や野原で、ガタンと車を停めたこともあった。
(中略)

引揚げ列車が出る竜山駅へ、くる日もくる日も、延々と長蛇の列が続いている。ひとり者のBのお婆さんが、竜山へ出かけたばかりなのにあわただしく帰って来て、ガラン洞の我が家で泣いていたこともあった。

訪ねてゆくと、「私はもう、国へ帰れない」と言って、身もだえしているのである。「婆さんしばらく、あんたも帰るんですか」となれなれしく近寄る若い男があるので、「ながながお世話さまで」と挨拶すると、「その荷物、私が担いで上げましょう」と親切気に取り上げて、その男は間もなく人ごみの中へ姿を消してしまったのであった。もしや元の家へ戻ってはいはせぬかと来てはみたが、「もう誰もいやしません」と、身寄りのないこのお婆さんはサメザメと泣き伏した。

駅前で用を足している間に、最後の財産であるトランクを盗まれてしまった人もあった。
血まなこになって走り回ると、2、3町先の路傍でそれを開いて、セリ売りを始めている男がある。
「それは僕のものだ」と言い寄ると、その男は「ナニッ!なんの証拠があって、そんな言い掛かりをつけるのか」とつかみ掛かるのであった。

群集が、「なんだ、なんだ」と取り囲むと、打つ、殴る、蹴るの狼藉。――たちまち、顔も手も血と泥にまみれて動かなくなってしまった。

路傍では、ツギのあたったあわせや、赤子のオシメを指でつまみながら売っているのを見たこともある。

「こんなものまで盗らなくてもよさそうなものだ」と思った。それと同時に、こんなものをせめてもの財産として大事に持って帰ろうとした人には、どんなに深刻な痛手であろうと思うと、とめ度もなく涙が溢れ出るのであった。』


http://didisama.tripod.com/didi/rekisi2.htm
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