Re: 朝鮮の暴徒…知りませんでした
投稿者: sada_goro 投稿日時: 2007/01/06 12:06 投稿番号: [45036 / 230347]
掲示板では良くお見かけします
多分同じようなところに顔を出しているのだと思います
よろしく
以前からずっと疑問に思っていることがあります
中国には終戦の混乱の中で多数の日本人残留孤児が残されました
けれども,朝鮮にはいません
(終戦時,私の大叔母の一人も朝鮮人に泣く泣く子供を一人預けてきました)
何故なのか・・・ずっと疑問に思っています
善意に考えれば,距離が近いので全員日本に送り返された
あるいは,朝鮮人の実子として育てられた
悪意に考えれば,全員殺されたか見殺しにされた
「和夫一家の話」というものがあります
事実かどうか分かりませんが,似たような話はあったのだと思っています
当初,金完燮『親日派のための弁明』の未翻訳部分としてネットに乗っていましたが,
現在,『親日派のための弁明〈2〉』の中には載っているようです
http://kankokufubai.150m.com/jittai.htm
凄惨な内容なので,詳細は上のサイトで
(読みやすいように改行挿入,記事は少し長いので分割)
===========
私は生粋の韓国人だ。
でも,韓国人というものがあまりにも情けなく,えいっと殺してしまいたいときがある。なぜ日本の蛮行は暴くのに,自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか?
日帝時代,朝鮮に移り住んだ日本人の中には,明らかに立派な人々も多かった。ところが,和夫一家殺害事件のように,韓国人は自分たちの間違いを,日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し,事件を矮小化,隠蔽しようと躍起になっている。
和夫の亡骸は,釜山に大切に移葬され,毎年,日本人の墓参りが絶えない。
以下は,和夫夫婦が死んだ日,ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。事件当時,金ソンス君も加害者だったが,殺害行為には同調しなかったそうだ。
和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。
(中略)
当時,朝鮮にいた日本人地主のなかには,朝鮮人の小作人たちから,法の規定以上の小作料を取り立てる,怪しからぬ人々もいたが,ふだんから人情味の厚かった和夫は,小作料を収穫全体の十分の一とし,村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。
…
また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え,四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。
けれども,和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。
和夫の家族は,ふだん,このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。
(次へ)
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多分同じようなところに顔を出しているのだと思います
よろしく
以前からずっと疑問に思っていることがあります
中国には終戦の混乱の中で多数の日本人残留孤児が残されました
けれども,朝鮮にはいません
(終戦時,私の大叔母の一人も朝鮮人に泣く泣く子供を一人預けてきました)
何故なのか・・・ずっと疑問に思っています
善意に考えれば,距離が近いので全員日本に送り返された
あるいは,朝鮮人の実子として育てられた
悪意に考えれば,全員殺されたか見殺しにされた
「和夫一家の話」というものがあります
事実かどうか分かりませんが,似たような話はあったのだと思っています
当初,金完燮『親日派のための弁明』の未翻訳部分としてネットに乗っていましたが,
現在,『親日派のための弁明〈2〉』の中には載っているようです
http://kankokufubai.150m.com/jittai.htm
凄惨な内容なので,詳細は上のサイトで
(読みやすいように改行挿入,記事は少し長いので分割)
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私は生粋の韓国人だ。
でも,韓国人というものがあまりにも情けなく,えいっと殺してしまいたいときがある。なぜ日本の蛮行は暴くのに,自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか?
日帝時代,朝鮮に移り住んだ日本人の中には,明らかに立派な人々も多かった。ところが,和夫一家殺害事件のように,韓国人は自分たちの間違いを,日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し,事件を矮小化,隠蔽しようと躍起になっている。
和夫の亡骸は,釜山に大切に移葬され,毎年,日本人の墓参りが絶えない。
以下は,和夫夫婦が死んだ日,ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。事件当時,金ソンス君も加害者だったが,殺害行為には同調しなかったそうだ。
和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。
(中略)
当時,朝鮮にいた日本人地主のなかには,朝鮮人の小作人たちから,法の規定以上の小作料を取り立てる,怪しからぬ人々もいたが,ふだんから人情味の厚かった和夫は,小作料を収穫全体の十分の一とし,村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。
…
また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え,四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。
けれども,和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。
和夫の家族は,ふだん,このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。
(次へ)
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これは メッセージ 45019 (run_run72 さん)への返信です.
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